旋丸巴さん

人と馬が紡いだ歴史を守る。「未来を担う世代に伝えたいこと」とは

2024.09.30

日本では古くから『娯楽』と呼ばれる音楽やお祭りなどさまざまな催事があり、それがやがて文化へと発展しました。その成り立ちは、日々の暮らしの中から生まれるものが多く存在します。

ばんえい競馬も、明治初期にはじまる開拓時代の労働力として活躍したばん馬たちのお祭りなどで催されていた力比べ大会が、やがて競馬へと姿を変え今に残っていると言われています。

今回インタビューしたのは、『NPO法人とかち馬文化を支える会』専務理事の旋丸巴さん。旋丸さんに、ばんえい競馬の文化的価値、そして未来への思いについて伺いました。

旋丸巴(つむじまるともえ) 大阪府出身。作家。2004年に著書『馬映画100選――銀幕に踊る馬たちが描いたホース・シネマ・パラダイス!』にてJRA賞馬事文化賞を受賞。
2007年より、NPO法人とかち馬文化を支える会専務理事。競走馬、乗用馬、農耕馬、など馬全般にわたる馬事文化の普及に努める第一人者である。

幼き日に誓った、将来の夢は“馬と生きていく”

 旋丸さんが、馬を好きになったきっかけは何ですか?

兵庫県芦屋市へ引っ越した10歳のときに、隣の神戸市の乗馬クラブで初めて馬と出会いました。当時(昭和44年頃)は、まだサラブレッドの生産頭数も少なく、ポニーサイズの小柄な馬もいませんでしたから、私が乗っていたのはアングロノルマン種など、子供にとってはとても大きな馬たちでした。

昔の写真

画像:旋丸様提供

鐙(あぶみ)※を短くして何とか乗りこなしていましたが、初めてまたがったときに見た、高い馬上からの景色にとても感動したことを今でも鮮明に覚えています。

馬のかわいさと大きな動物の優しい雰囲気に引き込まれ、「ずっと馬と関わっていきたい!」と思いました。

※鐙(あぶみ)とは:馬に乗る者が足をかけて身体の安定を保つためのもの

運命的な出会いですね! その後の進路はどうされたのでしょうか。

大学で本格的に馬の勉強をするべく、北海道江別市にある酪農学園大学の酪農学科に進学しました。日々馬や牛に囲まれる日々が叶い、本当に嬉しかったですね。

学生時代で思い出すのは、馬術部のメンバー達と一緒に1980年に公開された黒澤明監督の映画『影武者』の合戦シーンに、撮影にエキストラとして参加した事です。草原を馬に乗って何度も駈け抜けました。どこに映っていたのかいまだに見つけられないのですが、貴重な経験でした(笑)。

旋丸様 学生時代

大学時代は乗馬、牧場見学、競馬観戦など馬三昧
画像:旋丸様提供

大学卒業後は、 『株式会社 サラブレッド血統センター』という出版社に入社しました。競馬ファンの方には『競馬四季報』を発行する会社というとわかっていただけるかと思います。

旋丸様の前職時代

最愛のダービー・コーネルランサーが韓国に輸出された時は、すぐに韓国の種馬所を訪問した。
画像:旋丸様提供

サラブレッドは人間が作り出した動物と言われ、競馬で活躍する『主流血統』の管理が重要です。1980年代初頭、日本にまだ定着していなかった血統に対する考え方を確立し、競馬を数値化して客観的に見るという礎を築いた会社でした。

北海道へ移住されたきっかけは?

社内結婚をし、8年ほど勤めた会社を退職した頃、作家として生計を立てられるようになったことで、「また北海道で生活したい」と思うようになり、1991年に移住促進が活発な芽室町へ移住しました。

移住後

画像:旋丸様提供

十勝地方を選んだのは友人からの勧めがあったから。食料自給率の高さ、そして何といってもたくさんの品種の馬達が住んでいるのは十勝エリアの自慢です。家では馬やたくさんの動物たちと一緒に暮らしていますよ。

大好きな馬たちを何とか助けたい

ばんえい競馬との出会いをお聞かせください。

2003年に十勝農業協同組合連合会より依頼を受け、絵本『赤べえ』を執筆したことがきっかけです。人と共に人馬一体となり大地を耕し切り拓いた農耕馬たちが、昭和40年代の農業機械化の波に押し寄せられ、必要とされなくなっていく時代の話で、原案は演劇で親しまれていた作品です。

挿絵を担当したのは谷あゆみさん(現ばんえい競馬調教師)。谷さんにはばん馬たちの日々のあらゆる生活シーンを見せてもらい作品につなげました。また十勝管内の生産者の組織である、十勝馬事振興会会長の佐々木啓文さんにばん馬について深く教わり、現在につながるたくさんの出会いができました。

そんな中、2006年にばんえい競馬が今年度で廃止される危機にあることを知ります。

馬と人が紡いだ歴史は6000年もさかのぼると言われているのに、自動車文化が発達したこの数十年で馬の居場所が無くなってしまうのは非常に惜しいと思いました。そして、幼い頃から大好きな馬たちが、競馬が廃止されることで生きる道を失ってしまう非常事態を、何とか打破したいという一心でした。

存廃問題ではどのような運動をされたのですか。

多くの人がばんえい競馬の存続を熱望していることをどう発信するか。SNSが主流ではなかった当時、インターネットで掲示板を作成し、署名運動ではなく「ばんえい競馬が存続したらどのようにしていくべきか」という意見を募集しました。おかげさまで全国から584件もの建設的な意見をお送りいただき、帯広市長へまとめて提出しました。

2000年代は、多くの地方競馬が、経営の悪化により廃止に追い込まれた“冬の時代”でした。存続してもいつ廃止になるかわからない厳しい状況が続くことを承知の上で、当時の砂川帯広市長が馬達への深い愛がある方で、存続を英断してくださったからこそ今があると思っています。

たくさんの人に馬とふれあって体感してほしい

とかち馬文化を支える会はどのように発足されたのでしょうか。

とかち馬文化を支える会 ロゴ

画像:とかち馬文化を支える会

現在は、地元十勝の市民団体として活動をしていますが、設立の経緯は、帯広市単独開催となった2007年に、農林水産省から帯広市へ「ばんえい競馬を主催する帯広市に代わり、競馬以外の文化やレジャー的側面を担う団体が必要なのでは」と助言があり、存続問題で共に活動したメンバーが主となり設立されました。私たちが担ったのは、「誰でも楽しめる、明るい帯広競馬場作り」そして「馬と共に築いた文化をもう一度見つめ直し、未来へつなぐ」ということでした。

私がサラブレッドの競馬の仕事をしていた1980年代に、JRAはギャンブル色の強かった競馬を、さまざまな施策で多くの人が休日に楽しめるレジャーへと変貌を遂げ、その姿を目の当たりにしていました。

「ばんえい競馬もやり方次第でレジャーとして楽しめるようになる」と確信し、実際に馬とふれあって体感してもらうために、ばん馬たちとのえさやり体験や、馬車の運行、そして、ばん馬以外にもアラビアンホースショーなどを開催しました。また、競馬場に初めて来場されるお客様にも楽しんでいただけるように、帯広競馬場内にインフォメーションセンターとグッズショップを合わせた『リッキーハウス』をオープンしました。

現在はどのような活動を行っていますか。

私たちの活動の大きな柱を3点ご紹介します。

1つ目は、『小中学校への出前授業』です。

「子どもたちにおおきなばん馬とふれあってほしい」と、馬車を連れていき、ふれあい体験をしていましたが、現在はさまざまな要望があり、社会科や理科の授業の一環として行っています。

授業では、人馬一体となりこの広大な大地を開拓してきた歴史があるからこそ、現代の私たちの生活があること、自動車が広く普及されるまで、人は馬車に乗って移動し、馬がいなければ暮らすことはできなった、それだけ馬たちが人のためにがんばってくれていたのだよ、ということを伝えています。

また、ミニチュアホースを連れてふれあい体験なども行っています。

2つ目は、『馬耕技術の伝承』です。

ばん馬のルーツである農耕馬たちが木製の農具を曳き、田畑をたがやす“馬耕”ができる人を継承していこうと考えました。そこで、北海道幕別町でギャラリー運営などをされている『ノースポールステイブル』の蛭川さんに次世代の担い手となってもらうべく、馬耕技術をもつ農家さんに教わりました。蛭川さんはいまやお弟子さんもいるほどの腕前になり、農耕を体験できるイベントも開いています。

3つ目は、『若手育成事業』です。

若手育成事業

画像:旋丸様提供

ばんえい競馬に関わる仕事に限らず、馬に関わる仕事をしたいと考えている若手の皆さんの育成に力を入れており、3年ほど前から若手育成講座を開いています。帯広畜産大学の学生さんや、最近は帯広農業高校の生徒さんたちにむけて、馬や馬の仕事について、実際の牧場見学、乗馬体験、また参加希望者から勉強したいことをお伺いして、それを実現するように活動しています。

今後の課題や目標についてお聞かせください。

「ばん馬の生産者を救いたい」という課題があります。おかげさまで馬券発売額も好調で黒字が続く現在、実は競走馬となるばん馬の生産頭数の減少が大きな問題となっています。

令和6年(2024年)の生産頭数は800頭あまり、これはピーク時の十分の一以下の数字です。後継者不足、また不景気で畳む牧場もあります。競走馬がいなければ、競馬が成り立たないため、『若手育成』、そして『ばん馬の生産』の強化は喫緊の問題です。当会としてもできる限りの支援を行いたいと考えています。

とかち馬文化を支える会についての思いをお聞かせください

ばんえい競馬で競う“馬の力くらべ”は、欧州の貴族や裕福な層が築いたサラブレッドの競馬と違い、「馬が人と共に生きてきた証」で生まれた大衆の文化です。ばん馬たちはいつも一生懸命頑張って、人間の思いに応えるべくレースに挑んでいます。いつまでもばん馬たちの活躍の場があるよう、ばん馬を第一優先で管理される調教師、厩務員、皆さんの一方ならぬ愛情も伝えていきたいと思います。

“すべては馬達のために”。できることがあれば形に捉われず、フットワーク軽く柔軟にやっていきたいという思いでこれからも活動していきます。

最後にメッセージをお願いします。

私は人と馬が楽しそうに仲良くしている姿を見るのが大好きです。純粋に「馬ってかわいいな」という気持ちをもってもらえるだけでもとても嬉しく思います。ぜひかわいいばん馬たちに会いに帯広競馬場へお越しくださいね。

ーーーエピソードのひとつひとつに旋丸さんの馬たちへの深い愛を感じ、人生をかけてご尽力される姿に感銘を受けました。

とかち馬文化を支える会は年会費3,000円で入会ができます。筆者も遠方に住む会員ですが、会報誌などで活動情報がわかり楽しいですよ。ご興味のある方はぜひ入会してみてはいかがでしょうか。

文/Kawahara

連載「ばんえい競馬ではたらく人」では、ばんえい競馬を支える仕事に就くさまざまな人の魅力に迫ります。お仕事と記事の一覧はこちらから。

Sponsored by ばんえい十勝