札幌の街

スマホなしで道に迷っても心配ご無用!北海道の住所に欠かせない「条丁目制」とは

2021.03.06

みなさんは道に迷った経験はありますか? 旅行先や引っ越してきたばかりで初めての土地だとそういうこともあるかもしれません。筆者も方向音痴とまではいかないにしろ、地図アプリを手放した途端無能になります……。

今回は、道外からの観光客も道内に住んでいる方も知っておくと便利な“条丁目制”について、札幌を中心にお伝えします!

開拓の歴史を知ると、札幌の街がよく見える

私たちの周りには〇条〇丁目といった表記があふれていますよね。たとえば、札幌市営地下鉄。東西線には『西18丁目駅』や『西11丁目駅』などがあり、南北線に至っては『北12条駅』から『北34条駅』まで全部“北〇条”です!

ほかにも、みなさんがお住いの住所もこうした表記かもしれません。この〇条〇丁目という表記の始まり、なんと明治時代にまでさかのぼります。開拓の歴史と深くかかわっていますから、少し細かいですが歴史を振り返ってみましょう。

明治2(1869)年に開拓使が設置され、開拓政策の拠点となる“札幌本府”の建設も同年にスタート。この本府の建設を命じられたのが、“北海道開拓の父”とも呼ばれる島義勇(よしたけ)判官です。島判官は円山の高台から街づくりの構想を練ったといわれています。そうして生まれたのが京都の街づくりを参考に生まれた構想で、札幌を現在の「南1条通り」で南北に、また、すでに掘削されていた「太友堀(創生川)」で東西に分けるところから始めるというものでした。この構想をベースに、60間四方の格子割による街区構成が生まれ、「大通」の設置も決まりました。

余談ですが、放射状の地割りの提案がされたこともあったそうです。もしそれが採用されていたら、どんな札幌になっていたのでしょう?

条丁目制とは?

このような街づくりを実践していた最中の明治14(1881)年に条丁目制の採用が決定しました。

条丁目制とは、「郡名を町名とすることを廃し、大通を基線として南北に北〇条、南〇条とし、創生川を基線に東西に東〇丁目、西〇丁目とし」たものです(『札幌の地名がわかる本』より)。

「郡名を町名とすることを廃し」とありますが、それまでは市街地と称された地域には、通りごとに道内の郡名を町名として付していました。たとえば、現在の「大通」に該当する通りは「後志通」だったのです。これを条丁目制の採用のタイミングで「大通」としました。

ここで採用されたものが現在にまで続いているのです!

2つの“基線”が載っている地図を持ってきました。誰もが知る「大通公園」。そして「創生川」。この場所の地図さえ頭に入っていれば、あとはお手の物。区画ごとに数を数えればよいのです! このとき、道路には“北4西5”のような標識もあります。初めて札幌に来た人でもこの規則さえ押さえられれば、もう迷いません!

ちなみに、札幌以外の場所でも若干規則性は異なるものの、似たような条丁目制が採用されている場所があります。ぜひ確認してみてください!

 

地図アプリに頼らない街歩きもよさそうですね!

【参考】
『札幌の地名がよくわかる本』2018、亜璃西社
道路建設の歴史 / 札幌市ホームページ

【画像】Everything / PIXTA(ピクスタ)