
「1,000勝は通過点」地元・帯広の星が挑んだ“ばんえい記念” とその先に描く夢とは
北海道遺産のひとつである『ばん馬』たちのレース、『ばんえい競馬』。
“馬の速さ”を競うサラブレッドの競馬は世界各地で行われていますが、“馬の力強さ”を競うばんえい競馬は、日本の帯広市だけでしか観ることができない世界でオンリーワンの珍しいレースです。
今回お話を伺ったのは、ばんえい十勝騎手の渡来心路さん。2025年7月14日(月)の第1競走でスーパーカイリキ号に騎乗して優勝し、通算1,000勝を達成しました!
1,000勝達成は、ばんえい競馬の歴史の中で30人目、現役騎手では10人目の快挙です。
そんな輝かしい実績を持つ渡来心路騎手は、トップジョッキーであると同時に、帯広で生まれ育った地元のヒーローでもあります。今回は、悲願であった『ばんえい記念』制覇のその先に見据える、故郷への想いについて伺いました。
渡来心路(わたらいこころ)
1989年生、北海道帯広市出身。久田守厩舎所属。
2010年1月に初騎乗。翌月2月に初勝利。2025年7月に、通算1,000勝を達成。
悲願の「ばんえい記念」と1,000の勝利。
2025年3月16日に行われた、ばんえい競馬の最高峰レース「第57回ばんえい記念」では、前日に主戦の阿部武臣騎手が負傷されるというアクシデントがあり、急きょ、渡来心路騎手が騎乗されることに。しかも、渡来騎手にとっては、ばんえい記念が初騎乗という中での優勝となり、大きな話題となりました。改めて、あの時のレースを振り返って、どのようなお気持ちでしたか?

予定外の乗り替わりとなったため、自分としては、声をかけてくださった坂本調教師、そしてこれまでメムロボブサップに騎乗してきた阿部騎手に、ただただ感謝の気持ちでいっぱいでした。
『ばんえい記念』前日の告知だったそうですが、驚きはありませんでしたか?
実は、メムロボブサップが3歳のときに一度だけ騎乗したことがありました。その際から「強い馬だな」という印象は持っていましたが、それ以降は縁がなく、騎乗することはありませんでした。
私はもともと緊張しにくいタイプですが、今回は大一番のレース。そして、一番人気が予想されるメムロボブサップに乗るということで、さすがにそれなりのプレッシャーは感じていました。
レース中、特に勝負の分かれ目になったと感じたのはどの瞬間でしたか?

第2障害を越えたときかな。いいポジションで障害を下りることができたんです。馬が自分でペースをわかっていたので、馬のリズムに任せて気負わず乗ることができました。第1障害のときも「落ち着いていけば勝てる」と感じていました。
ゴール後、ご家族や関係者の方から、どんな言葉をかけられたのが一番印象に残っていますか?

画像:ばんえい十勝
みんな「おめでとう」って言ってくれました。坂本調教師もすごく喜んでくれて嬉しかったです。家族には「良かったね」と声を掛けられました。
1,000勝という大記録を達成されましたが、ご自身にとってこの数字はどのような意味を持ちますか?

画像:ばんえい十勝
特別な感慨はありません。騎手としてデビューしてから15年が経っているので、自然な流れのようにも感じています。
ただ、これまで多くの良い馬に乗せてもらい、勝利を重ねることができたのはひとえに関係者の皆さまのおかげなので、感謝の気持ちでいっぱいです。
これまでの1,000勝のなかで、特に印象に残っているレースはありますか?

画像:ばんえい十勝
だいたいのレースは覚えていますが、勝ったレースよりも負けたレースの方が印象に残っています。特に2024年5月の『第34回ヒロインズカップ』では、騎乗したサクラヒメ号がゴール直前、あと30cmというところで脚が止まってしまい、とても悔しい思いをしました。内心では「勝てるかも」と感じていたのに、結果は3着。馬に無理をさせすぎたのかもしれないと、自分を責めました。
しかし、その悔しさがあったからこそ、2025年1月26日に行われた『第35回ヒロインズカップ』でしっかり勝利を掴むことができたと思っています。
馬との信頼関係を築く上で、最も大切にされていることは何でしょうか?

画像:ばんえい十勝
馬に任せて、できるだけ馬の動きを妨げないよう意識しながらレースに臨んでいます。一頭一頭個性が異なるため、普段から馬の癖を見極めることも重要です。また、レース中は自分の感情を出しすぎないよう調整しています。
そんな騎手という仕事で最も厳しい点は、結果がすべての世界であることです。どんな馬でも良いレースをしなければ次の騎乗のチャンスはなく、結果を出し続けなければなりません。一方で、最高にやりがいを感じるのは、勝利を掴んだ瞬間、一着になれたときの達成感です。
高校中退後、声をかけてくれた“今井厩舎”が転機に
帯広のご出身ですが、どのような少年時代を過ごされましたか?

中学生のときはサッカーをしていましたが、特に本気で取り組んでいたわけではなく、ごく普通の少年時代を過ごしていました。勉強も得意とは言えませんでした(笑)。
両親が旅行好きだったこともあり、道外の祖父母の家への帰省も含めて、いろいろな場所に連れて行ってもらったことをよく覚えています。
数ある職業の中から、ばんえい競馬の騎手という道を選ばれたきっかけは何だったのでしょうか?

画像:ばんえい十勝
もともと最初にお世話になったのは今井厩舎でした。当時は高校を中退して何もしていなかったので、今井調教師に「手伝いに来たらどうか」と声をかけていただき、競馬場で仕事を手伝うようになったんです。
そのうち「若いんだから、騎手を目指してみたら?」と勧められて。正直、それまで騎手になるなんて考えたこともなかったのですが、せっかくならと騎手試験を受けてみることにしました。
1回目の試験は不合格、2回目も落ちてしまい、3回目の時に調教師から発破を掛けていただき(笑)。必死に頑張って合格しました。そういった経緯があるので、自分でも15年も騎手を続けてこられたのは驚きです。
馬を扱うことは好きだったのですか?

画像:ばんえい十勝
厩務員になるまでは、馬と触れ合う機会はまったくありませんでした。でも、小さいころから動物が好きだったので、初めて馬に触れたときも特に抵抗は感じませんでしたね。
実は、大変だったこともいくつかあって。厩務員時代に一度、命に関わる事故を経験しています。馬が暴走してしまい、その馬が引いていたソリにひかれてしまったんです。これは騎手試験の2年目を受ける少し前の出来事でした。でも、辞めたいとは全く思いませんでした。
さらに退院して3か月後には、また足の骨を折る事故に遭いました。これも人の不注意が原因だったので、馬に対して怖いという気持ちはまったく湧きませんでしたね。ただ、「これからはもっと気を付けよう」と思って、日々励むようにしていました。
僕と、僕の街・帯広。

渡来騎手にとっての“北海道Like”を教えてください
帯広は、余計なものや目移りするものがなく、とても穏やかな街です。冬は寒いですが雪は少なめで、暮らしやすい環境だと感じています。
そして何より小豆がおいしく、そのおかげでお菓子も格別です。『六花亭』や『柳月』といった有名店も多いですよね。
渡来騎手にとって、「ばんえい競馬」と「帯広の街」は、それぞれどのような存在ですか?
『ばんえい競馬』があることで、帯広に多くの人が訪れてくれたら嬉しいです。騎手として熱いレースを繰り広げることで、『ばんえい競馬』がもっと盛り上がることを願っています。
未来へ。そして、ファンと共に。

画像:ばんえい十勝
今後の目標と、読者の方々へのメッセージをお願いします。
『ばんえい競馬』を観戦して、少しでも『ばんえい競馬』のファンが増えてくれたら嬉しいです。
目標は、“次の一勝”を常に意識して積み上げていくようにしています。また1,000勝は通過点であって、まだまだ上の世界があると感じています。
これからも変わらず頑張りますので、応援をいただけると嬉しいです。

編集部
ひとつひとつの積み重ねを大切にする、渡来騎手の実直な姿勢に心を打たれました。
インタビューの端々から伝わってきたのは、静かに燃える情熱と、馬や関係者への深い敬意。地元・帯広を愛し、日々のレースにまっすぐに向き合う姿に、胸を打たれました。
どんなときも「次の一勝」を見つめ、決して奢らず歩み続けるその背中が、多くの人の心を動かしているのだと感じます。
今後のさらなる飛躍を心から楽しみにしています!
文/北海道Likers
連載「ばんえい競馬ではたらく人」では、ばんえい競馬を支える仕事に就くさまざまな人の魅力に迫ります。お仕事と記事の一覧はこちらから。
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