カナダチームinニセコ2008

元モーグル五輪選手の山崎石材工業代表・山崎修。過去から現在、未来へとつなぐ「人生の物語」

2021.11.27

元オリンピアン、現在は北海道神宮の狛犬を手がけた歴史ある石材店の社長。そんな異色の経歴を持つ方が存在するなんて信じられますか?

日本選手権で3度の優勝、冬季オリンピック出場後、プロ転向。そののち解説者を務め、現在では石材業を営む。そんな方がいるんです。しかも北海道に。今回は創業133年の石材店を営む山崎修さんにお話を伺いました。

山崎修(やまざき・おさむ)。1964年生まれ。滝川市出身。幼少期からスキーに没頭し、フリースタイルスキー、モーグルに打ち込む。1992年冬季五輪アルベールビル大会(フランス)で、日本人唯一のモーグル五輪選手となる。その後、モーグル解説者として競技認知度の向上に貢献。2017年、山崎石材工業株式会社代表取締役社長に就任し、現在に至る。

当時、日本人唯一の五輪モーグル日本代表。スキー、モーグルとの出会い

山崎さん お写真

今回の取材はオンラインで行いました

北海道LikersライターTatsuya.K:現在のお仕事について伺う前に、まずはモーグルプレーヤー時代のお話を聞かせてください。

山崎修さん(以下、山崎さん):もともとスキーが大好きでよく上砂川のこぶ斜面を滑っていました。18歳のときにニセコの「ロッジロンド」に滞在し、そこで日本モーグルチャンピオンの方々と出会い、モーグルの道へと進みました。偶然の出会いでしたね。

スキー選手時代の山崎さん

モーグル選手時代の山崎さん 出典: 山崎石材工業株式会社

北海道LikersライターTatsuya.K:そんな出会いがあったんですね。当時のモーグル競技がニッチなコミュニティだったということも関係していますか?

山崎さん:それもありました。北海道の大会に初めて出場したときに5位に入賞したのですが、その後3年間も“北海道の新星”と言われ続けたぐらいですから(笑) 当時、アルペンや基礎スキーは多かったのですが、モーグルに挑戦する人はあまりいませんでした。

モーグルには指導者もいませんでした。当時はスキー場のこぶ斜面をかっこよく滑っていた人がヒーロー、といった感じでした。僕もそのヒーローを目指して先輩たちの滑りを見よう見まねで練習しました。大会での心構えは先輩に教えてもらいました。

北海道LikersライターTatsuya.K:スポーツ選手は厳しい練習を繰り返してやっと慣れるものというイメージがあったので意外でした。

山崎さん:僕が思うのは、スキーでもなんでも技術を教えて、基本的なことを繰り返していきますが、それじゃあ楽しくないですよね。スキーはもっと楽しいもの。子どもに勝手に楽しませるようにしていれば、もっと北海道のスキー経済が回るようになったのかもしれませんね。

プロスキーヤーから石材店社長へ。異色の経歴の誕生秘話

解説者時代の山崎さん

解説者時代の山崎さん 出典: 山崎石材工業株式会社

北海道LikersライターTatsuya.K:モーグルでオリンピック選手となったのち、プロ転向を経て、引退後は家業である石材店の代表取締役社長に就任されています。そのきっかけを教えてください。

山崎さん:現役を引退してから10年くらい紆余曲折があって…。社会修業をしたと思っています。そのタイミングでずっと「実家に戻らないのかい?」と言っていた祖父が亡くなりました。それがきっかけでしたね。亡くなってからお墓に「戻りましたよ」と報告しました。

北海道LikersライターTatsuya.K:家業を継ぐということ以外に、石材店に惹かれた理由はありますか?

北海神宮狛犬建立明治44年5月建立

明治44年5月「北海神宮」狛犬建立のときの写真 出典: 山崎石材工業株式会社

山崎さん:うちの先祖が作った仏像や狛犬が北海道の至るところにありますが、未来に何かを伝えていくのは石だと思うんです。

「北海道神宮」狛犬とひーひーひー孫

山崎石材初代が建立した「北海道神宮」狛犬との玄孫が一緒に 出典: 山崎石材工業株式会社

歴史上でも紙(パピルス)では残らないものでも、石なら残る。そうやって何かを未来に残していく石材店の仕事を継ぐべきだなと感じました。

「お墓は人生の物語」掲げるテーマに込められた思い

北海道LikersライターTatsuya.K:石材店の仕事のひとつとしてお墓の建立があります。山崎さんは「お墓は人生の物語」というテーマのもとお仕事されていますが、どういった想いが込められているのでしょうか?

工事中の山崎さん

基礎工事中の山崎さん 出典: 山崎石材工業株式会社

山崎さん:人生って自分から見たら日々平凡に見えますが、実はドラマがあって、意思を持って終えていくんです。お墓じまいとして、子どもたちに言わずに解体処分をされる方も最近多いのですが、ひとり一人にドラマがあってそのドラマは家族にとって大切なものだと思うのです。

北海道LikersライターTatsuya.K:お墓の役割とはどんなものでしょうか?

山崎さん:お墓は家族の記憶装置です。何も‟お墓自体が大切”というわけではないのかもしれませんが、子孫と先祖の拠りどころ、つながる場所であり、さらには家族の気持ちを団結させる場所だといえるでしょう。

沖縄のお墓を見たことがありますか? 一族がひとつのお墓に入るのでお墓参りにいったときに遠い親戚同士がはじめましてとなったりするんだそうです。お墓の前で先祖崇拝のお祭りや宴会をする文化があるので、家族のつながりを感じざるを得ない瞬間が1年に1回以上あるということになります。沖縄の出生率は日本で一番高いですよね。そのような沖縄のお墓の風習も関係しているんじゃないかと。これもお墓の役割でもありますよね。

QRコードが彫られたお墓

QRコードが彫られたお墓 出典: 山崎石材工業株式会社

北海道LikersライターTatsuya.K:つながりや団結、記憶装置としてのお墓。なかなか興味深い視点です。お墓にQRコードを彫り、サイト上で家族のエピソードや写真などを見ることができる「想いでサイト」サービスも行っていますよね。

山崎さん:これからの世代はこれまで以上にどこに住むのか、わからないでしょう。アメリカに移り住んで仕事するなんてことも珍しくないでしょうし。そんな状況でも、お墓は動けませんが、家族との距離を埋めるものが存在していることが大切だと思っています。

民俗学では、50年ご先祖様を忘れなければ、自分自身の守護霊になるといわれています。毎年行かなくたっていい。大切なのは“忘れないこと”なのではないかと思います。

北海道の石材店としての矜持。山崎さんが思い描く石材店の未来とは

新潟ご先祖のお墓参り

ご先祖に手を合わせる山崎さん 出典: 山崎石材工業株式会社

北海道LikersライターTatsuya.K:ここまで家業を継ぐことになった経緯や石材店としての想いを伺ってきました。最後に、北海道の石材店としてどのような存在でありたいですか?山崎さんの未来の展望をお聞かせください。

山崎さん:北海道には長く続いてきた歴史があります。しかし、今は村集落がなくなっていき、人々がそこで生きた証が失われつつあります。お墓くらいは人が生きた痕跡を残し続けることが大切だと思うんです。お墓の意思を残すために管理して守っていくことも石材店の役割なのではないかと思います。

山崎石材工業株式会社外観

山崎石材工業株式会社外観 出典: 山崎石材工業株式会社

北海道LikersライターTatsuya.K:石材店として133年の歴史を守りつつ、なにか新しい取り組みも考えられているのでしょうか。

山崎さん:そうですね。“終活”という言葉があり、“仕舞う、整理する”ことが目的で暗いイメージになりがちですが、ご高齢の方が楽しめる場づくりも石材店としてやってみたいと思っています。例えば、お孫さんと一緒に参加できる“シニアキャンプ”とか。亡くなってからだけではなく、生きているうちから人生に関わる石材店でありたいです。

「想いでサイト」などの新たな取り組みも含めて、“お墓は人生の物語”というテーマのもと、これからも歩み続けます。

 

———過去と現在、そして未来。移りゆく時の流れの中で、変わらずつないでいく物語がある。取材中、終始和やかな雰囲気の中にも、山崎さんの確固たる想いが垣間見えました。想いをつなぐ新たな形を模索する山崎さんの今後の活躍に注目です。

⇒山崎さんの連載はこちら

⇒こんな記事も読まれています

札幌新陽高校校長・赤司展子。「複業する校長」が自らの姿勢で魅せる教育の理想とは

株式会社シーラクンス代表・藤澤義博。デジタル教育で 「だれもが学び続けられる」北海道に