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山上裕一朗さん

山上木工3代目・山上裕一朗。津別町から世界へ「日本の技術を届けたい」

2021.02.19

株式会社山上木工は、北海道オホーツクの津別にある木工所。自社ブランド家具『ISU-WORKS』の製造販売、OEM家具製造、木材CNC精密機械加工サービスを提供しています。3代目として株式会社山上木工に入社し、地域への熱い想いを持ちながら、さまざまな活動をしている山上裕一朗さん。山上さんのルーツ、そして、これから挑戦したいこととは。

1984年、津別町生まれ。大学を卒業後、工作機械メーカーを経て2013年に株式会社山上木工に入社。近年は、町内の廃校を活用した自社ショールーム『TSKOOL(ツクール)』やワークショップ開催、SNSでの積極的な情報発信、海外展示会への出展など多種多様な展開を図り、2020年4月には家具のレンタル・サブスクリプションサービスや貿易仲介などを手掛ける株式会社The Goodsを立ち上げた。(一社)ベンチャー型事業承継メンター。

日本の技術の可能性に気づき、津別にUターン

山上さん

今回の取材はオンラインで行いました。

北海道Likers編集部:大学で上京され、道外で就職、その後津別市にUターンされています。津別に帰ってきたきっかけを教えてください。

幼いころ、父・裕靖さんとのツーショット

幼いころ、父・裕靖さんとのツーショット

山上さん:父の影響が大きいです。当時、父は山上木工の2代目として、「メーカーになる」という意気込みをもって、自社ブランド「ISU-WORKS」を立ち上げていました。そんな父の姿を見て、自分はこのままでいいのかなと考えるようになったんです。

もともとは、津別に帰ることは考えておらず、父に戻って来いと言われていたわけでもありませんでした。ただ、祖父母からは、ずっと「3代目」と呼ばれていたので、自分が事業を継ぐことはどこかで意識していたかもしれません。

前職での海外出張で

前職での海外出張で

日本ブランドのすごさを肌で体感したことも大きなきっかけとなりました。工作機械メーカーで働いていたとき、海外の顧客と話すことがよくあったのですが、現地の方に「日本人の製品はすごい」とたくさん言っていただいて。津別で父が作っている製品も世界に通用するものなんじゃないかと感じました。ほかの国にはマネできない、日本の技術を世界に届けたいという想いで、津別に戻ってきたんです。

津別町へのこだわりが地域活性化に

北海道Likers編集部:世界に日本の技術を届けたいという想いのもと、津別町でものづくりをすることにどのような意義を感じていますか?

「ISU-WORKS」の『LOG』

「ISU-WORKS」の『LOG』

山上さん:私は大きい都市に事務所を構えて事業を行うよりも、ローカルにこだわりたいと思っています。地域で作った製品を作って輸出し、地域の人たちと一緒に道東のブランドを向上させていきたいからです。

オホーツクには、店舗什器を扱っている企業は多いのですが、私たちが扱っている木製のイスを作っている企業が少ないということもあり、ブルーオーシャンでもありますし、地域の皆さんが注目し、応援してくれています。最近では地域としても、地元のものを作ろう、使おうという流れがでてきているようにも感じますね。

廃校舎活用のプロジェクト『TSKOOL』

廃校舎活用のプロジェクト『TSKOOL』

2018年から、廃校となった小学校を活用して『TSKOOL』というプロジェクトを始めました。山上木工が培ってきた技術力や作品を見てもらう場となっています。それまでは、地域の方から「山上木工ってどんなことをやってる会社なの?」「何の家具を作ってるの?」と言われることもありました。いくら良いものを作っても、皆さんに見てもらう機会がなかったんです。『TSKOOL』を作ってからは、今まで以上に地域の人から、応援してもらえるようになりましたね。

日本一の技術を世界で

北海道Likers編集部:今後はどのようなことに挑戦していきたいですか。

木工所での作業風景

木工所での作業風景

山上さん:1つは、山本木工が得意とするNC特殊加工の技術をブラッシュアップして、日本一と呼ばれるものにしていくことです。この技術は父が30年以上、積み重ねてきた唯一無二のもの。技術をしっかり継承し、もっと皆さんに知っていただきたいです。

もう1つは、「ISU-WORKS」の海外出店の促進です。現在は、全国60店舗、海外2か国、年間1,200脚を生産しています。今後は、マカオ・シンガポール・台湾などへの出店に挑戦する予定です。

北海道に戻ってくる若者を増やしたいという想いも強いです。私は、こんな大きな地球で、北海道・津別という素晴らしい場所で生まれ育ちました。でも、かつての私と同じように、北海道にルーツを持った若者がどんどん道外へ出ていっているのが現状。

私たちの取り組みを見て「自分にもできるかもしれない」と地元に戻ってくる若者が増えたら嬉しいです。だからあえてオホーツクや津別というキーワードを多用して、少しでも多くの若者がUターンしてくれることを心から願っています。

 

―――誇るべき日本の技術を世界に届けたいという志が、津別町を盛り上げる数々の挑戦につながっているのだと感じました。そんな熱い想いを持つ山上さんの活動が、日本の技術の発展と若者の挑戦を後押ししてくれるはずです。