大久保昌宏さん

離島経済新聞社代表・大久保昌宏。人がつながる場をつくる利尻島の仕掛け人

2020年7月、利尻町(利尻島)に生まれた、利尻町定住移住支援センター『ツギノバ』。コワーキングスペースやカフェラウンジ 、多目的スタジオを兼ね備えた島の人たちのコミュニケーションスペースをつくり上げたのは、離島経済新聞社代表の大久保昌宏さんです。

利尻町の課題を新たな場所をつくることで解決に導く大久保さんに、利尻島で活動することになった背景や、今後挑戦したいことを伺いました。

大久保昌宏(おおくぼ・まさひろ)。1979年生まれ。東京都福生市出身。特定非営利活動法人離島経済新聞社代表理事。 2010年、株式会社離島経済新聞社設立。取締役就任。2014年、特定非営利活動法人化に伴い事務局長就任。2015年より現職。事業ディレクターとして各種プロモーション、教育・人材育成、コミュニケーションサポート等を担当。各種計画策定を軸とした地域経営支援や定住移住促進サポート、地域における起業・創業・継業支援等を行いながら、自治体と地域民間事業者との協働による地域づくり支援などを中心に活動。利尻町では教育事業や利尻町定住移住支援センター『ツギノバ』の運営などを行う。

島本来の空気感を伝える

大久保さん

今回の取材はオンラインで行いました。『ツギノバ』のコワーキングスペースから。

北海道Likers編集部:大久保さんは東京生まれ東京育ちということですが、どうして『ritokei』をはじめることになったのですか?

大久保さん:もともと広告制作会社で企画編集をやっていました。しかし、2008年にリーマンショックが起こり、そのタイミングで、そろそろ自分がやりたいことを‟生業”にしたいと感じるようになったんです。

今後を模索していたときに、通い始めた社会人向けのスクールで離島経済新聞社を一緒に立ち上げることになるメンバーと出会い、意気投合したのが最初です。それぞれが編集やデザインの仕事をしていたため、「何かおもしろいことできないかな」という話から、「メディアを立ち上げよう」ことになりました。

その社会人向けスクールの同じクラスに広島県の大崎上島に古民家を買った方がいて、そこにリノベーションのお手伝いで遊びに行ったんです。僕は生まれも育ちも東京なので、そのときはじめて離島に行きました。

実際に行ってみて、そこで感じたのは、島の人たちは「都市部から離れた島という環境の中で、自分たちがどう暮らし、生きていくべきなのか」をとても強く意識して暮らしているということ。地域としての魅力はもちろんですが、都市部の利便性や効率性の中で、好き勝手に暮らしていた自分とは異なる島の空気感を伝えていきたいと思ったんです。そこから、立ち上げようとしていたメディアを、日本にある約420島の有人島の情報を発信できる場所にしたら面白いんじゃないかという話になりました。

2010年に有人離島専門ウェブメディア『ritokei(リトケイ)』を立ち上げ、翌年から、有人離島専門フリーペーパー『季刊リトケイ』を発行するようになりました。ウェブメディアだけだと、島の中でウェブを見る人が少なくなかなか見てもらえなかったので、実際にフリーペーパーもつくって、島の中で置かせてくれる場所に配布してみたところ、とても反響があったんです。

僕自身は現在は、離島地域の自治体や地域住民との協働という形で、地域の方々と一緒に地域課題を解決していくお手伝いをさせてもらっています。

今までの想いを引き継ぎ、「次の場所」に未来を詰め込む

沓形港から見える利尻山

沓形港から見える利尻山

北海道Likers編集部:『ritokei』を立ち上げて、今は利尻島で活動されていますが、どのような経緯で利尻島と関わることになったのでしょうか。

大久保さん:2014年に公益財団法人日本財団との共同事業で、島の子ども向け教育事業として自分たちの地域の魅力を堀り下げる、メディアづくりの教育プログラム企画を立ち上げたのがきっかけです。

その企画の利尻島での導入について、当時、離島経済新聞社で取材に協力いただいたことがあった、島で働かれていた方の伝手を頼ってご相談したら、「一度島においでよ」とお招きいただいたんです。

利尻島の方々は島の教育や地域に暮らす子どもたちに対してとても熱い想いを持っていて、我々の企画にも賛同してくれました。そこから利尻町の方たちとつながっていったのが一番のはじまりです。

利活用を進めている旧沓形中学校

利活用を進めている旧沓形中学校

北海道Likers編集部:今年の7月からは、閉校になった中学校を活用して利尻町定住移住支援センター『ツギノバ』を運営されていらっしゃいます。『ツギノバ』をつくることになったきっかけを教えてください。

大久保さん:仕事でご一緒させていただいている役場の方に、閉校後の校舎を見せてもらったとき、教室の椅子や机に教育事業でメディアづくりを教えていた子どもたちの名前や、壁に飾られた生徒たちの写真を見つけて、みんなのことを思い出しました。僕がその生徒たちの立場だったら、母校がなくなってしまったら寂しいだろうなと感じたのが発端です。

2018年度に、利尻町の十年間のまちづくりの方針となる第6次利尻町総合振興計画の策定に携わらせていただき、2019年度からその計画のPDCAサイクルを回していくためのお手伝いをさせていただているのですが、その過程で様々な課題が町の中に存在していることを実感しました。人口減少はどんどん加速し、少子高齢化も進行。基幹産業である漁業の担い手も減少していっています。基幹産業の担い手も含めた人口減少・少子高齢化という現象は、様々な課題が絡み合って発生しています。これらを解決していくためには、複合的な課題を分解して個別課題として取り組むだけではなく、 “町の全体像を俯瞰して解決に向けて横断的に取り組んでいける場所・機能”が必要だと僕は考えています。

そこで、閉校となった中学校の利活用案として、島の多岐に渡る課題を解決するために必要な機能を、すべてこの学校に集約したらどうだろうかと思ったんです。

2020年7月に旧沓形中学校内に開設した利尻町定住移住支援センター『ツギノバ』

2020年7月に旧沓形中学校内に開設した利尻町定住移住支援センター『ツギノバ』

第6次利尻町総合振興計画でたくさんの町の方々に話を伺った結果、掲げたテーマは“共創”と“自分ごと”。だから、これまで町として、あるいは町民のみなさんが取り組んできたことはちゃんと理解した上で、その思いをしっかりと引き継いで、次の未来に向けて町のみなさんが主体的に自分たちの地域をつくっていけるような場所にしていきたいと思っています。そのために、分かりやすく地域課題を交通整理して明確化し、解決していくための機能を集約していく必要があると思いました。

閉校となった旧沓形中学校の利活用は3ヵ年計画となっていて、初年度にこの場所の拠点であり入口となる定住移住支援センター『ツギノバ』を立ち上げました。今年度は町の中のプレーヤーが増えたり、挑戦したいと思っている人たちの背中を押せるように、飲食店経営のテストマーケティングができたり、商品開発ができるチャレンジキッチン・チャレンジショップや、町民のみなさんの定住意向の向上を目的に、雪が積もっていても子どもたちが思いっきり走り回れるように、体育館を人工芝に張り替えて可動式遊具やスケートボードパークを併設した屋内遊戯施設を立ち上げていく予定です。

町の中から「起業したい」という声も出てきているので、今後は、校舎をフル活用して、起業したい方々に教室をサテライトで貸していくなどの展開も考えています。少しでも「ここに住んでいて良かったな」と思ってもらいたい。そして「こういう人たちがいるんだったら自分もここに住み移り住みたいな」と思う人たちのハブとなっていきたいと思っています。

内からも外からもつながっていく場

北海道Likers編集部:利尻町で今後挑戦していきたいことを教えてください。

大久保さん:他の色んな地域でも地域の人口減少が加速すると、「新しい人、移住者を呼び込みたい」という声を聞きますが、そもそも地域に住まわれている方々が「ここに住み続けたい」と思えない地域に新たな移住者を呼び込むことは難しいと思います。

だから、まずは、利尻町定住移住支援センター『ツギノバ』を起点にして、町の人たちが「利尻町に住み続けたい」と思えるような要素や機能を補填していきたいと考えています。それを『ツギノバ』に詰め込んでいって、『ツギノバ』があるから「挑戦できる」「内地ではなくて利尻だからできることがある」と思えるような場所をつくりたいと思っています。それが少しずつ、目に見える成果を出していければ、今以上に暮らしやすい町、暮らしたい町になっていけるのではないかと考えています。

また、『ツギノバ』の取り組みをする中で、その考え方や目指すことに島外のいろんな人たちに共感いただき、仲間として取り組みに関わってもらっています。そういう島外からの人たちと町に暮らす人たちが出会い、つながることで、町の人たちが主役になって、次の新しい動きが自然と生まれていって欲しいと思っています。

 

―――東京生まれ東京育ち。大久保さんが今に至るまできっかけには、島の人との深いつながりがありました。「本当にこの島はあったかいです」インタビュー中にたくさん語られた人とのつながりの重要性を軸に、どんどん新しいことに挑戦する利尻町と大久保さん。これからも目が離せません。