【会社員からの転身】ばんえい競馬史上初の三代目騎手が“自分自身で選んだ未来”

2025.02.13

十勝エリアの観光スポットとして有名な帯広市のばんえい競馬。明治時代から広大な北海道の原野を人と共に開拓した歴史をもち、北海道遺産に選定されている“ばん馬”たちがその力強さを競う、世界の中で帯広市だけで行われているとても珍しいレースです。

今回お話を伺ったのはばんえい競馬騎手の大友一馬さん。2024年12月に騎手としてデビューし数か月を経た現在の心境、そしてばんえい競馬への思いについて語っていただきました。

大友一馬(おおともかずま)
1994年生、北海道帯広市出身。流通経済大学スポーツ健康科学部卒。大友栄人厩舎所属。
会社員として勤務した後、2023年よりばんえい競馬の厩務員となる。
地方競馬全国協会における『令和6年度 騎手免許試験』に合格し、2024年12月1日騎手免許交付。
騎手服は桃、水色山形一文字。ばんえい競馬史上初の大友家3代目の騎手として、未来を担う期待の新人騎手の一人である。

サッカーに人生をかけて挑んだ少年時代

ばんえい競馬との出会いをお聞かせください。

私の家は祖父の代からばんえい競馬に携わっています。物心ついた頃から祖父が調教師、父が騎手でしたので、家族に連れられてたまに当時ばんえい競馬を開催していた『岩見沢競馬場』にでかけたり、『帯広競馬場』の厩舎に行ったりしていました。

祖父と父が調教師として管理していたスーパーペガサス号の活躍は、当時話題にもなっていたので「すごい馬がいる!」と思っていました。『地方競馬全国協会(NAR)』主催の『NARグランプリ』で『ばんえい最優秀馬(賞)』をスーパーペガサス号が受賞した時に、表彰式に一緒に出席したことがいい思い出です。

2005年のスーパーペガサス号
画像:ばんえい十勝

ただ、その当時の私は友人に誘われたことをきっかけに、小学校1年生の頃からサッカーを始め、地元の少年団やクラブチーム、そして高校はスポーツ特待生として帯広大谷高校へ進学しました。サッカーの練習や試合の遠征参加など、少年時代の多くの時間をサッカーに捧げていたため、ばん馬は遠目に見るだけで直接ふれあうことは一度もありませんでした。

*スーパーペガサス号: 2003年~2006年に、ばんえい競馬史上唯一、最高峰のレースであるばんえい記念を4連覇した歴史的名馬。

サッカーを通して学んだこととは?

その後、サッカー強豪校の流通経済大学に進学しましたが約240名という部員の多さにレギュラーをなかなか掴むことができず、挫折を味わうこととなりました。しかし、「自分自身を客観的に見ることができた経験はその後の人生にとって収穫だった」と思っています。

たくさんの出会いがばんえい競馬への道につながった会社員時代

大学を卒業し、会社員の道を選ばれたのは?

ばんえい競馬のことはいつも頭の片隅にありましたが、当時は「全く携わらずに大人になった自分にこれから挑戦できるような甘い世界ではない」という思いが強かったです。

大学卒業後は函館の会社に入社し、営業業務を担当していました。営業の仕事でお客様とのお付き合いが続く中、ふとした会話で「私の家がばんえい競馬の家系である」ことを話す機会があったのですが、その際に「すごいね!」と大変驚かれることが多く、「そんなすごい家系なのに、なぜ会社員をやっているの?」などと言われることもありました。

思えばその頃から本格的にばんえい競馬を意識するようになった気がします。

最終的に決断をされたのはどう思いからですか?

よく「3代目を引き継いだ」と言ってくださることが多いので恐縮なのですが、「自分自身がばんえい競馬に興味を持ち騎手になりたい」という思いに至ったことと、「挑戦してみたい」という気持ちが芽生えたことが一番の決め手となりました

当時勤めていた会社の上司が「いつまでもこの人と一緒に働いていきたい」と思えるほどとても信頼のおける人だったのですが、ばんえい競馬で働くことを決断したことを相談した際にも快く背中を押してくださいました。今でも本当に感謝しています。

決断された時、ご家族とはどんなやりとりがありましたか?

調教師である父は「お前がやりたいのだったらいいよ」と言ってくれました。中でも印象的だったのは祖母がとても喜んでくれたことです。祖父、父と同じ騎手服姿を見せることができ、喜んでくれた姿を見ると嬉しいなと感じました。

遅ればせながらですが、自分が『3代目』になれたのは、祖父や父が長い間守り続けてきてくれたおかげです。決断して本当に良かったと思っています。

*騎手服について:地方競馬全国協会に所属する各地方競馬所属の騎手が、レースに出走する際に着用する服。色や柄については騎手試験合格後に本人が選び申請する。勝負服と呼ばれることが多い。

新しい人生は毎日が学びの日々

2023年6月にばんえい競馬の厩務員となり、これまでと生活が一変されたと思いますが、いかがでしたか?

夜明け前から仕事を始める生活に慣れるまでは大変でしたが、それよりも「楽しい!」という気持ちが勝っていました。馬に触れることがはじめて、また毎日新しいことの連続で、教えていただいたこと、経験したことすべてが糧になっていくような感覚でした。

忙しい中、2回目で騎手試験を合格されました。どのように勉強されましたか?

年齢的にできるだけ早く騎手になりたいと思っていました。騎手になるために学ぶことは山ほどあるので、“できるだけ勉強するための時間を作る”ことと、“できるだけ長い時間ペンを握って手を動かす”ことを意識して過ごしていました。

また騎手の試験対策の勉強会に参加し、勉強のコツなどを教えていただいたことも大きかったです。

2024年12月7日に晴れて騎手としてデビューされ、同日にミンナノユメヲノセ号に騎乗して早くも初勝利を挙げましたね!

自分はどちらかというと緊張しやすい性格なので、まだ周りを見る余裕がなく、無我夢中で馬に乗っていました。初勝利の瞬間も自分が勝ったということがわからず、周りの騎手がおめでとうと声を掛けてくださってやっとわかりました。優勝を実感した瞬間はとてもうれしかったです。

騎手デビューしてから2か月程が経過して何か変化や気づいたことなどありますか?

普段調教を担当している馬にレースで乗った時、気性面もそうですが、手綱から感じる馬の反応がいつもとは違う感じになることがわかりました。まだ何となく感じるといった程度しか感覚を掴めていませんが、これからの調教に活かしていけるようになりたいです。

尊敬している騎手は?

鈴木恵介騎手です。恵介さんにしかできない馬とのコンタクトの取り方があり、素晴らしい騎手だと思います。恵介さんに普段から質問をたくさんさせてもらっています、頂いたアドバイスをまだなかなか体現できていないのですが、少しずつでも理解できるようになっていきたいと思います。

実は私の記憶にはないのですが、2歳の頃に鈴木騎手に会っていたことがあるそうで、昔から知ってくれていたそうです。「子どもだったのにずいぶんと大きくなったなぁ(笑)」と言ってくれました。そんなこともあり応援してくれています。本当にありがたいことです。

これからどんな騎手になっていきたいですか?

まだはじまったばかりでうまくレースを運ぶことができていないと反省の連続です。ここまでレースを勝つことができているのは、馬をいい状態に仕上げてくれている厩舎の皆さんのおかげだと思っています。感謝の気持ちを忘れずに1戦1戦、少しでも技術を磨いていけるように学んでいきたいと思います。

最後に読者へメッセージをお願いします。

世界にここにしかないばんえい競馬。私自身、厩務員になる前は映像でばんえい競馬を観ていましたが、実際にレースを生で観ることになって、ばん馬たちの熱気と迫力こそがばんえい競馬の魅力だと感じています。ぜひ皆さんにも帯広競馬場で生のレースを観て体感してほしいです。

また、帯広市は自然がいっぱい、食べ物もおいしい、ばんえい競馬もある街です。一度足を運んでくれたらその魅力がわかってもらえるのではと思っています。ぜひ遊びに来てください。

ーーー「3代目を継ぐということよりも、自分自身がばんえい競馬に魅力を感じ一生の仕事とする覚悟ができるか」

少年時代からひとつのことに打ち込み、多くの努力を積み重ねて来られた大友騎手だからこその言葉がとても印象的でした。

大友騎手のこれからの活躍を楽しみに応援しています!

文/Kawahara

連載「ばんえい競馬ではたらく人」では、ばんえい競馬を支える仕事に就くさまざまな人の魅力に迫ります。お仕事と記事の一覧はこちらから。

Sponsored by ばんえい十勝