オべリベリ

北海道の地名「オべリベリ」ってどこ?北海道民ならだれもが知っているはずの場所は…

2021.12.24

北海道には難解な地名が多数。今回ご紹介するのは、「オベリベリ」……なんとも楽しいリズムを刻む地名です。北海道民なら誰でも知っている場所ですよ。

この地で、ある男性が人生をかけ死闘し紡いだ歴史や業績、そして“魂”は、今でもこの地に住む人々に脈々と受け継がれ息づいています。そのストーリーを知ったあなたはよりこの地を深く愛し、より楽しむことができるでしょう。

魅力たっぷり。いつも旬なまち、十勝の「オベリベリ」って?

今回取り上げるのは、北海道十勝にある「オベリベリ」です。

この地は、大自然を満喫できるアウトドア、素材からおいしいスイーツやグルメ、気軽にリーズナブルに楽しめる天然温泉、世界で唯一のばんえい競馬……季節や時間を問わずにいつも旬! いつでも楽しめる魅力たっぷりな町です。

さぁみなさん! もうわかりましたね?

正解は「帯広」です。

アイヌ語の「オペレペレケプ(河口がいくつにも分かれている川)」がなまって「オベリベリ」、そして「帯広(おびひろ)」となったと考えられています。

「オベリベリ=帯広」開拓の祖

依田勉三

帯広百年記念館蔵

突然ですが、こちらの男性をご存知ですか。帯広市民なら知らない人はいない、十勝開拓の父“依田勉三”さんです。

生粋の十勝民の筆者。他県に行くと豪華なお城や優美に着飾る歴代のお殿様・お姫様たちの写真……。美しく継承された伝統文化に触れたとき、小学生ながら心よりうらやましいと思い、そのたびに頭をよぎったこの写真。「あぁなぜ私の住んでいるところにはお城がないのか。勉三さんはひげが生い茂り、藁を背負っていて全然かっこよくない」。

しかし、知っていくとどんどん依田勉三のかっこよさにひかれていきました。そんな依田勉三のストーリーをご紹介します。

農業王国・十勝帯広の軌跡「開墾のはじめは豚と一つ鍋」

依田勉三は、十勝開拓の志のもと静岡県から移住。渡辺勝、鈴木銃太郎と共に十勝開拓の先駆けとなる晩成社を設立しました。

晩成社は、土地開墾、耕作、牧畜、造林、農業などを目的とし結成された会社。十勝での農業、畜産のみならず、函館における牛肉販売や東京へのバター『マルセイバタ』の出荷など、さまざまなことに挑戦しました。

開拓初期は極端に貧しく、客人が豚の餌と勘違いするほど粗末な食事だったといいます。渡辺勝が「おちぶれた 極度か 豚と一つ鍋」とみじめな生活に一句嘆いたとき、依田勉三が「開墾の はじめは 豚と一つ鍋」とひねり返したという逸話があります。ひとつ鍋しかないと嘆くか、すべてはひとつの鍋から始まったのだと思えるか……。

わが身を削る思いで未開の厳しい大地に農旗を立てた彼ら。野火やバッタの大群の襲来、干ばつや冷害は想像を絶して厳しく、泥まみれで恐ろしく、まさにいばらの道でした。

勉三は、渡辺勝、鈴木銃太郎とは別の道に進むことになってもなお、農作物の栽培、畜産業、乳製品の製造、木材工場の稼働などさまざまな挑戦を続けました。

最終的には、膨大な負債を抱き倒産同然で晩成社は解散。最後まで帯広にとどまり帯広開拓を進めた勉三は、73歳の生涯を閉じました。

強い意志と精神力。最期まで未来の十勝野の姿を思い描き、どんなに悲惨でも嘆くことはなく、突き進んだ勉三。自分の人生をかけ死闘し、数々のものを十勝帯広に遺した彼は最高にかっこいいのです。

実は、あの有名な「六花亭」の『マルセイバターサンド』や『ひとつ鍋』は、晩成社の逸話やデザインがモチーフになっているんですよ。

「帯広百年記念館」や「帯広図書館」では、帯広でしか閲覧できない十勝開拓に関する資料や展示品が見られます。もっと知りたい方はぜひ訪れてみてください。

 

十勝帯広は魅力がたくさんつまった素敵な場所です。ぜひ、みなさん十勝帯広を深く愛し、楽しんでくださいね。

十勝在住の方も、子どものころに学んだことを大人になって学ぶと、また違う味わいでとっても楽しいですよ!

【参考】帯広市、帯広百年記念館、帯広市図書館、六花亭製菓株式会社
市章、花・木・鳥、名の由来 / 帯広市
マルセイバターサンド4個入 / 六花亭製菓株式会社
ひとつ鍋6個入 / 六花亭製菓株式会社
し ら べ 隊 !! / 帯広市図書館
『依田勉三の生涯』松山善三 (株式会社ハースト婦人画報社 )
寺子屋・百年記念館資料

【画像】帯広百年記念館

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