初の女性調教師・谷あゆみ。ばんえい競馬の存続危機を乗り越えたパイオニアの胆力
世界で唯一、北海道帯広市だけで開催されるばん馬の競走“ばんえい競馬”。北海道におけるばん馬の歴史は古く、明治時代に農用馬として開拓の労働力となり、人々と共に生活してきました。どっしりとした体つき、荒い息遣い、迫力は見る者を興奮させます。
ばんえい競馬初の女性調教師として活躍するのは、谷あゆみさん。男性が多い社会で生き抜く原動力や、ばんえい競馬に対する想いを伺いました。
谷あゆみ(たに・あゆみ)。1966年、奈良県生まれ。調教師。帯広畜産大学卒業後、谷川牧場に就職。その後、ばんえい競馬の厩務員に。2005年に調教師試験に合格。2006年に谷厩舎を開く。幼いころから馬の絵を描くのが好きで、過去には帯広競馬場で個展を開催したことも。1児の母。
偶然だったばん馬との出会い
北海道Likersライターyukko:ばん馬と出会いを教えてください。
谷さん:幼い頃から馬が好きでした。馬に携わる仕事に就きたいと思い、地元の奈良県から北海道の帯広畜産大学に入学し卒業後は浦河にある谷川牧場に就職しました。谷川牧場では先輩はもちろん、“神馬”の異名をもつシンザン号*など、馬からもたくさんのことを教えてもらいました。
*シンザン号・・・中央競馬で戦後初のクラシック三冠を含
実はばんえい競馬を見たことはなかったんです。帯広で友人の結婚式があり、そのときはじめて見て「おもしろい、やってみたい!」と思ったんです。それから当時は4つの市で開催されていた、帯広、岩見沢、北見、旭川の各競馬場を見て回るようになりました。たくさん写真を撮って厩舎の方に配ったりしていて、騎手の方たちや調教師の方とも顔見知りになりましたね。
でも当時は、女性厩務員を採用していなかったので、ばんえいの仕事に就けるとは思っていませんでした。その後、辻本厩舎で女性厩務員が誕生したことをきっかけに女性の採用がはじまり、「ミスターばんえい」こと金山明彦さん(現調教師)から声をかけていただいて、ばんえい競馬の厩務員として働くことになりました。
北海道Likersライターyukko:サラブレットとばん馬にはどんな違いを感じましたか?
谷さん:まずサイズが違いますよね。見た目とは裏腹にばん馬の性格はおっとりしていて、サラブレットの敏感で厳しい性格とは異なります。
体のつくりも違います。サラブレッドは“硝子の脚”といわれるくらい体のつくりが繊細。ばん馬はもともと農用馬だったこともあり体が丈夫です。ばんえい競馬で働きはじめたころ、調教中にばん馬が誤って側溝に落ちてしまい「脚の骨が折れてしまう!」とかなり焦りましたが、馬はケロッとしていて「丈夫だなぁ」と思ったこともあります。
ばんえい競馬存続の危機、調教師になったきっかけ
北海道Likersライターyukko:ばんえい競馬は存続の危機を乗り越え、2007年からばんえい競馬は帯広市単独開催になりました。当時のお話を聞かせてください。
谷さん:厩務員として働きはじめたのは1993年でしたが、だんだんとばんえい競馬が廃止になる気配が濃厚になりました。自分が馬たちのためにできることを考えたら、調教師になって馬の就職先をつくるのもひとつの手だなと。「お前ならできる」と当時の師匠に後押してもらい、試験を受けて調教師になりました。
北海道Likersライターyukko:調教師になったきっかけには、ばんえい競馬の危機がかかわっていたんですね。存続が決まったときのお気持ちを教えてください。
谷さん:本当にうれしかったです。当時は厩舎関係者にも「潰れてしまうだろう」という気持ちの人が多くいました。でも、そこで諦めるわけにはいかないですし、自分ではできるかぎりのことをやったつもりです。砂川敏文・帯広市長(当時)がばんえい競馬存続に尽力してくださったこともあり、存続の危機を乗り越えられました。
北海道Likersライターyukko:谷さんにとって“ばんえい競馬”とはどのような存在ですか?
谷さん:好きで入ってきている世界なので、子どもや孫たちまで続くことを願っています。産業・文化という意味でも、ばんえい競馬がなくなったら北海道で生産される農用馬も衰退してしまうと思うので、守っていきたいです。
「女だからできない」とは言われたくない
北海道Likersライターyukko:ばんえい競馬初の女性調教師として活躍されている谷さん。男性社会のなかで働く大変さを教えてください。
谷さん:いろいろと大変なことはありましたが「負けてたまるか!」という気持ちで頑張ってきました。体が小さいのは仕方がないけれど「女だからできない」とだけは絶対に言われたくないです。今でも怒ったら「地震、かみなり、谷あゆみ」と言われますね(笑)
北海道Likersライターyukko:全国の働く女性にエールをいただきたいです。
谷さん:自分をもってブレることなく頑張っていたら、それを認めて伸ばそうとしてくれる人は必ずいます。自分のことを理解してくれる人たちを大切にしてください。
子どもから教わることがある
北海道Likersライターyukko:谷さんはお子さんがいらっしゃいますね。出産を経て、仕事に対する感情の変化はありましたか。
谷さん:子どもが生まれるまでは、いつもピリピリ張りつめていたのですが、出産を経て仕事面では細かいことでぐずぐず言わなくなりました。ちょっと大人になったかな(笑) 子どもは自分の思い通りにいかないこともあるし、本人の意思も尊重しないといけないですよね。子育てをしているけど、母親の私も子どもに育ててもらっているんだと思います。
北海道Likersライターyukko:谷さんが働く姿を見て、お子さんはどんな反応を見せますか。
谷さん:ときどき「誰でも競馬場で仕事ができるの?」「母さんの仕事手伝いたいな」と言いますが、まだまだ小学3年生ですからほかにも夢があるようで。子どもには「いろいろな仕事をしたいと思ったら今の勉強を一生懸命やらなきゃだめだよ。いろんなことを勉強していたら、将来なにかしたいときに幅が広がるから」と言っています。
北海道Likersライターyukko:調教師のお仕事は、朝も早いですし大変だと思います。
谷さん:実は最近、馬から落ちてしまい、一時的に現場での仕事は休ませてもらっています。時間を見つけて馬の首元につける金具がひっかからないようにかぶせる胸締めキャップや、口元につけるもくし*を作っています。絵を描いたりものづくりが好きなんですよ。
*もくし・・・ハミと呼ばれる金具のついていない頭絡
ばん馬は大地を踏みしめる力強さがかっこいい
北海道Likersライターyukko:谷さんが考えるばんえい競馬の魅力を教えていただきたいです。
谷さん:スタートからゴールまで人間が並走できるところが魅力ですね。公営競技で人間がついていけるレースは、ばんえい競馬しかありません。サラブレットのようなスマートさはないけれど、土くささ、ストロングスタイルといった北海道の大地に根を張った感じがかっこいいです。
北海道Likersライターyukko:谷さんが経営される厩舎の目標を教えてください。
谷さん:厩舎をはじめて15年になりますが、まだ重賞レース*で1着になったことがありません。肩掛け*に近づいている馬もいるので、早く獲れるように頑張りたいです。ばんえい記念*に出られるような馬を育てることが最終目標ですね。
北海道Likersライターyukko:最後にばんえい競馬のお好きなところを一言でお願いします。
谷さん:馬が自分で荷物を引っ張って仕事をすることで、レースが成り立っているところがすごく面白いなと思います。馬たちが自分で食い扶持を稼いでいるというか。はじめて見たときは「民話に出てくるような世界だ!」と感じました。私はそこがばんえい競馬の誇れるところだと思っています。
*重賞レース・・・ばんえい競馬で年間27レース実施される格の高い競走
*肩掛け・・・重賞レース優勝馬の首にかけられる飾り
*ばんえい記念・・・年度末の3月下旬に開催される、ばんえい競馬最高峰レース
今回お話を伺い、谷さんはとてもかっこいい人だと感じました。厩舎や馬文化を守る信念、お子さんへの愛情。まっすぐな想いが、ばんえい競馬という文化を後世につなげていくのだと思います。
ばんえい女子とは:
世界で唯一、帯広競馬場でしか見ることができないばん馬によるレース“ばんえい競馬”。大きな馬と騎手が生み出す、力強い迫力は見る者を圧倒します。そんな「ばんえい競馬(ばんえい十勝)」を主催する北海道帯広市と、インターネット勝馬投票券(馬券)購入サイト『楽天競馬』を運営する楽天グループの競馬モール株式会社が実施する「ばんえい十勝応援企画」は、ばんえい競馬を通じた地域振興の取り組み。本企画では、騎手や調教師など、ばんえい競馬を盛り上げ、支える女性たちの活躍に迫ります。彼女たちだからこそ知っている、ばんえい競馬の魅力とは?バックナンバーはこちらから
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