北大生が徹底考察!ジンギスカンが北海道で広まった理由を、歴史から読み解いてみた
いわずと知れた北海道のご当地グルメ、ジンギスカン。柔らかな羊肉の食感と、ジューシーなタレのコンビは最高ですよね!
観光客にも地元客にも愛される料理ですが、北海道で広まったのはただ美味しかったからでしょうか? いえいえ、その裏には意外な歴史的背景が隠されているんです。
今回はジンギスカンが北海道で普及した歴史を、明治時代までタイムスリップして徹底考察!
はじまりは羊毛だった
北海道のジンギスカン文化は、明治時代の毛織物ブームによってはじまったといってよいでしょう。欧米文化の流入による毛織物の需要増大にともなって、政府は羊毛を国内生産するために“めん羊”の育成に力を注ぎました。北海道の涼しい気候は牧羊に向いていて、さかんに行われていたそうです。
毛を取ったあとの羊に関しては、食べようという声は上がりませんでした。なぜなら、海の幸にも山の幸にも恵まれていた北海道では、わざわざ羊肉を食べる必要がなかったから。臭みがあるという理由で、逆に人々からは敬遠されていたのです。
余っているなら食べようじゃないか!
そんな北海道で、“羊を食べる”という概念が浸透したのは昭和に入ってから。羊毛生産の副産物として余ってしまう羊肉を「どうにかして有効活用できないか」と考えた政府は、補助金を出すなどして羊肉食の普及に努めます。滝川のとある羊牧場は同時期に、札幌のデパートに羊肉を送る、一般家庭向けの羊料理を紹介するなどして宣伝活動に勤しんでいたそう。
めん羊飼羊頭数が急激に増加したことや、農村で栄養改善が行われたこともあり、羊肉の消費は戦後にぐっと拡大します。
農村生活の支えとなったジンギスカン
多種多様な羊料理が生み出されるなかで、ジンギスカンがとくに有名になった理由は、その“簡便さ”にあります。肉と野菜を切って焼くだけという簡単な調理法や、家族全員がひとつの鍋をつつくスタイルは、家事労働の軽減につながりました。
大家族を養うために、過酷な農作業を強いられた当時の農民の暮らし。それを支えた救世主的な食事が、ジンギスカンだったんですね。“にぎやか、楽しい”といった今日のジンギスカンのイメージとは、また違った側面が見えてきます。
農村発グルメが全道で大流行
1960年代頃から、北海道のめん羊飼養頭数は急激に減少。羊毛の輸入が解禁されたこと、高度経済成長に伴って都市部に人口が流出したことなどが原因とされています。
しかし同時期に、農村地域に浸透したジンギスカンを一部の食堂がメニューに取り入れたことで、都市部でその美味しさが注目されるように。
北海道で飼育されていた残り少ない羊たちは、あっという間に道民の胃袋に入り、最終的には輸入肉に頼らざるをえない状況になりました。あくまで羊毛を手に入れるついでだった羊肉食が、いつのまにか目的となったのです。
外食企業やタレ専門店の出現、持ち運びコンロや使い捨て鍋の台頭などが相まって、ジンギスカンは家庭やレストラン、季節の行事など、さまざまな場面で活躍するようになりました。
農村発の庶民派料理が、多くの都市住民を魅了してムーブメントを起こし、ついには北海道の伝統料理の王座を射止めたなんて、まるでシンデレラストーリーですね。
結論
つまり、北海道でジンギスカンが流行した理由は……
・羊毛ブームで大量飼育されていた羊を、政府が有効活用するための手段だったから
・簡単に準備できる大鍋料理というスタイルが、戦後の農村の生活様式に合っていたから
・さまざまな場面での汎用性が都市住民の胃袋をつかみ、全道で人気が爆発したから
とまとめることができます。
いかがだったでしょうか? ジンギスカンのような身近な食べ物でも、歴史を紐解きながらさまざまな角度で分析するのは面白かったです。
「ラーメンサラダと冷やし中華は何が違うの?」「松前漬けの発祥が知りたい」など、ほかに気になるトピックがあればぜひ教えてくださいね!
【参考】河合知子・久保田のぞみ (1995).「北海道における羊肉消費の展開」『農村生活研究』39(1), 18-24
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