50代で大阪から美瑛町へ単身移住! 「北海道で見えた景色」とは?(美瑛町)
「私は、ここで暮らすことが必然だったのかなあ、なんて思うんです。」
そう語るのは2019年4月に、大阪から北海道に移住された関谷房江(せきやふさえ)さん。北海道・美瑛町で一棟貸しコテージ『みどりの森の小さなお宿 ことりとこりす』を営まれています。
関谷さんは、20代の頃から写真を撮るのが好きで、休みの度に北海道を30年以上訪れていたそう。
「いつか北海道に住んでみたい」と夢見る一方で、「どうやって生計を立てる?」、「年老いた両親を大阪に置いていけるわけがない」。そんな現実を突きつけられながらも手に入れた、関谷さんの北海道暮らしについて伺いました。
関谷房江(せきやふさえ)
1962年大阪生まれ。20代から大好きな北海道に通い続け、念願が叶って2019年4月に大阪から北海道に移住。
現在は北海道・美瑛町で一棟貸しコテージ『みどりの森の小さなお宿 ことりとこりす』を営む。
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美瑛との出会い
当時はまだインターネットが普及する前で、旅行雑誌やテレビ番組の特集で情報を集めたり、旅行会社でパンフレットをもらい、「こんなところに行ってみたいなぁ」と北海道の写真をスクラップしていたという関谷さん。念願が叶い、初めて北海道を訪れたのは20代前半。団体旅行で札幌市や小樽市、道東をまわるツアーに参加されました。しかし、パンフレットで見た景色と少し違うなぁと感じたそう。その後も、北海道完全一周ツアーなどに参加してみるも、思っていた景色とはやはり違う……。
そのころはまだ車の免許を持っておらず、北海道行きのフェリーに折り畳み自転車を持ち込み、鉄道やバスと自転車で道内各地を巡っていました。その際に、とりあえずここで降りてみようと思ったのが『美瑛駅』でした。
当時の美瑛駅前は閑散としていて、「あれっ?来るところを間違えたかなぁなんて思ったほどでした。ただ、次の列車まで時間もあるし少し歩いてみよう」と散策すると、関谷さんの目の前に、畑がドーンと広がります。
「“あぁ、やっと見つけた!”って。ずっと見たかった景色に出会えました。身体に電流が走るとはこのことかぁと思いました」
それから運転免許証も取得し、美瑛町の景色にみるみるうちに魅せられていきます。大阪で会社員をされていた関谷さんは大型連休の度に美瑛町に通い、いつからか「会社を定年退職したら1年を通した四季の変化を一度でいいから見てみたい」と思うようになったのだそう。
突きつけられる現実
どうやって生計を立てるのか?
漠然とした夢が、徐々に色濃くなっていく……。やがて、関谷さんは50歳頃から美瑛町の土地探しを始めます。その一方、「どうやって食べていくのか? 年金は当てにできないし、せっかく美瑛で暮らすのだから会社勤めもしたくない。カフェをするとか、アパート経営やタクシー運転手、色々考えたんです。でも、どれも無謀だなぁって思いました」
土地もなかなか見つからず、現実を突きつけられます。そんな矢先、関谷さんが30年来、定宿にされていたオーナーから、土地を切り売りしてもいいという話が舞い込みます。さらに、その土地はコテージ付き。自分の家をもつことにも憧れがあった関谷さんは、「ここで宿をやれば一石二鳥。もし今これに乗らなければ、たぶん一生無理だなと思いました。」
当時関谷さんは56歳、移住を決断し、会社を早期退職します。
「一度きりの人生だから、後悔のない人生にしたい、そう思いました」
両親を説得
北海道移住を決断後、仕事の引き継ぎや、ご両親の説得には時間がかかりました。
「北海道移住を夢見ていたものの、ずっと両親と同居していて一人暮らしもしたことがありませんでした。長女だから両親の面倒を見る責任もあると思っていたし。父は好きなようにやったらいいと理解を示してくれましたが母には、“旅行で行くのはいいけれど、移住するのは止めてほしい”といわれました」
お母さまは高齢で病気がちなこともあり、関谷さんもそういわれることはわかっていたそうです。
「最初は難色を示した母も、若い頃から美瑛町に通い詰めていた私の気持ちは、心の底ではわかってくれていたと思います」
ご両親を置いて大阪を離れる苦渋の決断をされましたが、現在は妹さん家族がご両親とともに同居されています。「すごく安心したし、妹夫婦には感謝しています」と関谷さんは話します。
北海道で見えた景色
「会社員時代は一日のほとんどがパソコン相手の仕事で、あまり人とも喋らなかったので、職場の人にあなたには接客業は無理でしょうといわれました。でも、今はこの仕事は天職かも、と思っています」
現在では、時間に余裕があるときにはお客様を連れて美瑛町を案内されることもあるとか。
「美瑛町や北海道のことなら、いくらでも話せるんです。一緒にまわって案内できるときが一番楽しい」と関谷さん。
「北海道に移住したことで、今まで自分の人生でやってきたことが、全部ひとつに繋がった。これまで仕事で培ってきたことなども含め、全てが無駄ではなかった。私の人生は“美瑛町でこの宿を営むこと”に向かって、進んできたのだなぁと感じました。」と関谷さんはいいます。
移住前は、連休などの決められた休みにしか来ることができなかったので、写真に写る景色がいつも同じだったのだそう。
「一年を通して、どんな風に季節が移り変わっていくのか、ずっと見てみたいと思っていました。夏の麦が色付いていく様子や、厳冬期のダイヤモンドダストは、移住して初めて見ることができました。庭の草取りはとても大変な作業ですが、ふと顔を上げたときに、山が綺麗に見えたり、空が夕焼けに染まっていたりすると心から幸せを感じます。」
春にはルピナスやフランス菊、秋には白樺やもみじ、楓の紅葉でカラフルになるお庭。関谷さんが今後やりたいと思っているのは、『庭カフェ』だそうです。
北海道Likersライターのひとこと
長年の夢を叶えた関谷さんのお話には、背中を押される方も多いのではないでしょうか?
自分が好きな場所や、やりたかったことに一度目を向けてみると、なにか新たな景色が見えてくるのかもしれませんね。
取材・撮影/佐藤絵理
【画像】北海道Likers