行列ができる老舗の名店!帯広の風土から生まれた故郷の味「元祖 豚丼のぱんちょう」
帯広グルメと聞いて、真っ先に思い浮かべるのが“豚丼”です。厚切りの豚肉が甘辛いタレにからみ、香りが漂うだけで食欲をそそります。「人々を料理で元気にしたい」という、ある料理人の想いが豚丼を誕生させました。
「元祖 豚丼のぱんちょう」の現店主・山田美鶴(みつる)さんにお話を伺いました。
地元想いの料理人の発想から「豚丼」は誕生した
明治時代に本格的に始まった北海道開拓は、開拓使だけではなく、さまざまな団体や人が関わっていました。十勝エリアは、北海道開墾を目的として結成された「晩成社」によって開拓されました。「晩成社」を率いた依田勉三(よだべんぞう)は、伊豆国那賀郡大沢(現静岡県賀茂郡松崎町)の出身で、農業や畜産業など十勝・帯広に根付く産業を築き上げたことから、「十勝開拓の祖」と呼ばれています。
十勝の基幹産業は、今でも変わらず農業や酪農です。夏は暑く、冬は寒さが厳しい十勝での仕事は重労働。帯広駅前の大衆食堂「ぱんちょう」の初代・阿部秀司さんが、「帯広の厳しい環境で働く人々に、豚肉を使って元気が出る料理を作れないか」と、昭和初期に考案した料理が“豚丼”の始まりでした。
「豚丼」はメニューのひとつだった
「元祖 豚丼のぱんちょう」は、洋食料理のコックだった秀司さんが、昭和8(1933)年に開店した食堂「ぱんちょう」がルーツです。開業当時から昭和40年までは、カレーライスやチャーハンなども提供する大衆食堂だったそう。
豚丼は数あるメニューのひとつにすぎませんでしたが、店先に「うなぎ丼よりうまい。豚丼を召し上がれ」と書いた看板を掲げると、帯広の人たちを中心に評判が広がりました。
口コミで豚丼がソウルフードに「元祖 豚丼のぱんちょう」
知る人ぞ知る豚丼が全国に知られるようになったのは、昭和40年代のこと。旅行者などが口コミで広めたことで知名度が高まり、メディアでも紹介される機会が増えました。
有名になるにつれて、お客さんの注文は豚丼ばかりになったため、昭和40(1965)年に、秀司さんは大衆食堂から豚丼専門店に切り替える決断を下しました。
現在お店を切り盛りしている孫の山田美鶴さんは、「思い切ったことをすると驚く人も多かったようですが、祖父は味に絶対の自信を持っていたようです」と、当時の様子を振り返ります。
豚丼人気が高まるにつれて、他店でも豚丼が提供されるようになりました。しかし、秀司さんは「おいしければ受け入れられるが、そうでなければ背を向けられる」と言い、ほかの店が豚丼を提供することを黙認しました。
「祖父は、豚丼が帯広名物になっていくことが嬉しかったのだと思います」と美鶴さん。今では、十勝エリアの学校給食のメニューにも取り入れられるなど、帯広のソウルフードとしての地位を確立。全国的にも認知されるグルメとなりました。
どんぶりにギッシリと豚がのっている!
「元祖 豚丼のぱんちょう」のメニューのランクは、『梅』・『竹』・『松』の順になっています。一般と逆なのは、秀司さんの妻“ウメさん”に敬意を払ってのことだそう。
特大サイズは『華』。ご飯は同じ量で、『華』8枚、『梅』6枚、『竹』5枚、『松』4枚と肉の量によって4つに分けられています。
『華』が運ばれ、炭火で焼かれた豚肉の香りが飛び込んできました。筆者のTシャツ(ブタファクトリー製)のデザインそのまんま。たくさんの豚がどんぶりにのっているようです。
ほどよく脂がのった北海道産の豚肉は柔らかく、幅約5〜6cm、厚さ約3mmと、とても大きい。肉にもご飯にも甘いタレが染みわたり、思わず唸ってしまうおいしさです。
「“味が落ちるから支店を出すな”というのが祖父の教えです。今後も創業者一族だけで豚丼を作り続けていきます」と美鶴さんは言います。豚丼を提供する店はあまたあるというのに、「元祖 豚丼のぱんちょう」には、たくさんの人が並んでいます。豚丼がなぜ人々に受け入れられ、人々はなぜ「元祖 豚丼のぱんちょう」の味を求めるのか。豚丼を味わい、美鶴さんから話を伺うことで、その理由が分かりました。
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■元祖 豚丼のぱんちょう
■住所:北海道帯広市西1条南11-19
■電話番号:0155-22-1974
⇒営業時間など詳細はこちら
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