弟子屈JIMBA

まちで活躍する人を撮り続ける「道東テレビ」。“日常会話”を入口に地域住民とまちの未来を描く

2022.07.02

みなさんは「テレビ」と聞いてなにを思い浮かべますか? ほとんどの人が液晶テレビに写るニュースやバラエティー番組を思い浮かべるのではないでしょうか。いろいろな情報を目にしたり、楽しんだりするのにはうってつけのテレビですが、どこか遠い存在に思えるという方もいるかもしれません。

北海道網走郡津別町に拠点を置く「道東テレビ」は、電波を発するテレビ放送局とは違ってYouTubeやFacebookなどのSNSを通じた映像配信を行っています。映像で取り上げるのは、芸能人や事件・事故ではなく、まちで活躍する人たちのこと。だれもが身近に感じられる地域に根差した映像発信が、人と人のつながりを生み、地域の課題解決やまちづくりに活かされています。

今回は「道東テレビ」の創設者・立川彰さんと「道東テレビ」で働く2人の若者、川上椋輔さん・高橋志学さんの3人にインタビューし、地域の人に寄り添うローカルメディアの役割に迫ります。

立川彰(たちかわ・あきら)。静岡県裾野市出身。日本テレビ「1億人の大質問!?笑ってコラえて」のADから映像制作を始める。2012年、千葉県船橋市で映像制作会社「株式会社キロックムービー」を創業。 2016年、津別町に地域おこし協力隊として移住。道東地方初となるインターネットテレビ局「道東テレビ」を開設。「あなた輝くまちテレビ」をテーマに地域 のポジティブなニュースを発信しているほか、2019年には町唯一のコワーキングスペース『JIMBA』をオープンさせた。映像制作と家族が大好き。

川上椋輔(かわかみ・りょうすけ)。宮城県大崎市出身。1995年8月29日生まれ。横浜の大学を経て札幌にあるフジテレビ系列UHB(北海道文化放送)にアナウンサーとして入社。2020年、道東弟子屈町に移住し地域おこし協力隊として着任。その後、道東テレビにて動画制作や配信に取り組む。現在は法人を1つ立ち上げ、まちの課題解決にも取り組んでいる好青年。結婚相手募集中。

高橋志学(たかはし・ゆきのり)。茨城県つくば市出身。1995年9月10日生まれ。大学卒業後、JR東海に就職。3年後、川上の同級生であり、カメラが好きだったことから弟子屈町に地域おこし協力隊として移住。動画制作を通じてまちのさまざまな情報を発信している。

並々ならぬ想いを持った道東への移住

北海道Likersライターまーきち:3人とも生まれも育ちも北海道とは無縁の地。最初に移住したのは代表・立川さんですね。移住のきっかけを教えてください。

道東テレビ立川さん

今回の取材はオンラインで行いました

立川さん:千葉県船橋市に住んでいた2015年、津別町の移住定住促進の映像を撮りに津別町に来ました。映像の最後に「あなたもこんな素敵な津別町に移住しませんか?」という締めくくりをしましたが、どうせなら自分の描いたナレーションが本当かどうか確かめたいと思っていました。

ちょうどタイミングよく、一緒に仕事をした津別町役場の方が「こっちで仕事をつくれませんか?」といってくれて、津別で仕事を作ることになりました。オホーツクにはテレビ局が「NHK北見放送局」しか支局がなく、なおかつ、同局の映像制作部門もなくなっていたんです。自治体が情報発信していこうと考えたときにテレビ局がないエリアは競合がないブルーオーシャン。そこで、津別町に「道東テレビ」というインターネットテレビ局をを作りたいと話を持ちかけ、「地域おこし協力隊」の制度を使い、2016年に津別町に移住しました。

北海道Likersライターまーきち:ご家族からの反対はなかったんですか?

立川さん:なかったです。僕は静岡県、妻は山梨県の自然豊かなところに住んでいたので子どもを自然の近くで育てたいと思っていました。最初は人口の多い船橋で子育てしようと思っていましたが、当時2歳の子どもは引っ込み思案で内気なタイプでした。なので、都市部で人口が多いところよりも目が届く規模の小さいまちがいいと思ったんです。

北海道Likersライターまーきち: 移住とともに「道東テレビ」を創業したんですね。「道東テレビ」のお仕事内容を教えてください。

立川さん:津別町周辺のまちを中心に映像制作、広報番組を作っています。取材を通じてまちの人との関係性を深めてきました。2019年からはコワーキングスペース『JIMBA』の運営もしています。今までは地域から一歩引いた状態でテレビが存在していましたが、もっと地域に入りこんだ新しいテレビ局の形を作れないかと思って活動しています。

北海道Likersライターまーきち:よりまちに密着し、まちの人を主役に情報発信を行っている印象です。川上さんと高橋さんがメンバーとなったのも、こうした新しい情報発信のやり方への共感からなのでしょうか。

道東テレビ川上さん&高橋さん

川上さん(写真左)と高橋さん

川上さん:そうですね。僕は新卒で「UHB(北海道文化放送)」に入社し、北海道で政界やスポーツ、第一次産業などをさまざまな視点から第一線で取材し、発信することに大きなやりがいを感じていました。しかし、テレビでの放送の先に、またさらに奮闘していくまちの方々の姿があることにも気付いたんです。

テレビの取材はあくまでも目の前の事象を取材する“点”。一放送機関、一取材者としてすべての事象にずっと密着し続けることはできないもどかしさがあり、テレビ業界を離れる決断をしました。

退職後は鎌倉でまちづくりの勉強をする予定だったのですが、北海道を離れるのはもったいないと思ったのと、北海道に課題を感じていたので北海道に残ってなにかをしたいと考えていました。ちょうどそのころ、「ドット道東」など、道東の発信をする活動が活発で注目していたところ、「道東テレビ」に出会いました。

「あなたが輝くまちテレビ」を掲げる「道東テレビ」の取り組みは、点で終わらない取材であり、取材の先に形成されるつながりがある。そして、そのつながりが地域の結束を生み、新たなアクションを生む契機となっている。まさに自分がやりたかったことだと思い、立川さんに連絡をとり、弟子屈町で地域おこし協力隊として「道東テレビ」がやろうとしていたことができるという話を聞き、すぐに応募して移住を決断しました。

北海道Likersライターまーきち:高橋さんは、そんな川上さんの幼馴染だと伺いましたが、移住に興味を持っていたのでしょうか。

高橋さん:はい。僕が働いていた「JR東海」は安定した企業でしたが、コロナ禍になって打撃を受けました。安定していると思っていた会社がもろく感じ、個人でスキルを身につけたいとは思っていたものの、どうしようかぼんやりしていました。そのとき川上が地域おこし協力隊になった話をききました。彼もアナウンサーという安定したところを辞めたのでなぜ彼が移住したのか興味があり、川上に会いに、弟子屈に遊びにいったんです。

弟子屈町では、大自然に出会い、たまたま乗ったカヌーでいろいろな人に出会い、さまざまな人生を知りました。ちょうど悩んでいた僕はとても衝撃を受けたんです。

当時働いていた茨城に戻ったあとも弟子屈のことがずっと頭から離れませんでした。ちょうどそのころ、川上が「新しい仲間を募集します」とSNSで投稿しているのを見た瞬間、「あ、いま行かないと後悔する」と思って移住を決断しました。

北海道Likersライターまーきち:勇気や迷いはなかったんですか?

高橋さん:ありました。決断したときは勢いがありましたが、辞める直前に上司に「絶対やばいでしょ」と脅されて不安にもなりました。でも、死ぬときに後悔したくない道を決断しました。

取材を通じて見える、「日常会話から始まるまちづくり」

北海道Likersライターまーきち:立川さん率いる「道東テレビ」に若い力が加わりました。川上さんと高橋さんは弟子屈町を中心に活動し、公式YouTubeチャンネルに毎日動画をアップしておられます。活動のなかでどんなことを感じていますか。

川上さん:ローカルなメディアがまちにあることの意味をひしひしと感じています。地域の情報を地域の人が知らないことがどこの地域にも共通してあります。だからこそローカルなメディアが本気で取り組むことはとても大事だと思っています。科学技術が進歩しているので、これは誰でもどこの自治体でもできることです。

高橋さん:動画はすごくわかりやすいツールだと思っています。僕らがあげている動画をみなさん日課のように見ていて、そのなかで世間話をするようにまちづくりの話をすると親しみを持ってくれます。「日常会話から始まるまちづくり」ができているのがいまとても心地よいと感じます。

北海道Likersライターまーきち:最初から見てくれる人が多かったんですか?

活動写真①

津別町の次代の経営者たちがまちづくりを応援するバラエティ生放送『つべらない話』配信の様子 出典: 道東テレビ

川上さん:毎日動画をあげ続けていくなかで増えていきました。日々活動をしていると視聴者が増えたりまちの人との関係性もどんどんできていったりするので、より今後のまちの未来を考えることに深みが増していると感じます。

高橋さん:とてもびっくりしたのは、「移住しました高橋です!」という動画をあげた次の日にまちのみなさんが「知ってる知ってる」といってくれたことです。移住しても、きばってまちづくりをする必要はないし、ここで生活することがすでにまちの人たちにとってもいいことなんだなと感じています。

メディアは入口。発信がまちとの関わりにつながる

北海道Likersライターまーきち:テレビとYouTubeは一見どちらも映像を発信することのように見えますが、違いはありますか。

立川さん:YouTubeチャンネル自体がコミュニティづくりになっています。テレビで表現できないことを表現できるのがYouTubeだと思いますね。

北海道Likersライターまーきち:テレビ局出身の川上さんはいかがですか。

川上さん:テレビはマスメディア、つまり伝えることがゴールなんです。マスな関心を持たれるところを伝えることがゴール。いまでいうと、テレビが取り上げるのは、知床の観光船沈没のニュース。僕たちが目指す方向は、そんな状況でも知床でこれから頑張ろうとしている人を取り上げることです。

テレビでは拾いきれないところ、拾おうとすらしないところを僕らは拾って、マスに向けてではなく、地元の人たちに伝える。そうすることで、自分たちがここにいる意味を見つめ直すきっかけになればいいなと思います。

僕らは発信することがゴールではありません。たとえば立川さんであれば発信することをきっかけにまちづくり会社に生かしたり、僕らとしても発信することをきっかけに移住者と接点を持ったり、空き家の問題に取り組んだりしています。なので実際にメディアの仕事をしているといいながらもメディアは入り口でしかないと思っています。

北海道Likersライターまーきち:茨城県から移住した高橋さんは、ローカルな情報の発信にどんな手応えを感じますか。

高橋さん:いまどき、テレビを全然見ない人もいると思いますが、自分に関わることはみんな興味があるんです。自分のまちのことを発信すれば、まちの人はみんな見る。自分の家族が新聞やテレビに出たら見たくなるのと同じですね。映像の影響力はまだまだ伸びると思います。

北海道Likersライターまーきち:映像発信は入り口だということがみなさん共通の考えなんですね。最後に、今後の展望をお聞きします。今後、やりたいことやありたい姿を教えてください。

立川さん:本当の意味で「“道東”テレビ」になりたいと思っています。いま僕は津別周辺しか行けていませんが、弟子屈やほかのまちにも頑張っている人たちがいます。そういう人たちの情報をまとめ、“道東エリア”としての発信を目指していきたいです。また、僕らのような地域特化型のメディアが増える環境づくりもしていきたいですね。

川上さん:映像の仕事やアナウンサーの仕事に加え、行政と民間の地域課題の解決のための事業を形にしたいです。若いうちにまちの政治家になりたいと思っています!

高橋さん:僕自身出身の茨城への想いがあり、道東と都市部をつなげるような仕事がしたいです。個人としては弟子屈と茨城の2拠点生活ができるよう都市と地方のアクセスの部分を考えていきたいです。また、地域の人が集まる津別と弟子屈のコワーキングスペース『JIMBA』のモデルを都市部にも売り込んでいきたいと思っています。

左から川上さん、立川さん、高橋さん

左から川上さん、立川さん、高橋さん 出典: 道東テレビ

 

―――人の想いを発信するライターとして、ただただ3人のことをかっこいいと思いました。発信する先とまちを深い関係性で紡ぎ、一緒にまちで活動していく。3人の発信によって道東エリアがどのように変わっていくのか楽しみで仕方ありません。

【画像提供】道東テレビ

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