歴史 アイキャッチ

面白かった!西山製麵と札幌ラーメンの歩み

皆さんこんにちは!めん助です!

西山製麺の歴史は漫画の様になっているとご存知ですか。ご興味ありましたら、以下のギャラリーをご覧ください!

それでは、出発

漫画で知る!西山製麺の歴史

1.昭和22年の暮れ、札幌ラーメンの歴史は屋台から始まった。どの屋台も、食べ物を求める人々で大繁盛!スープは豚骨の醤油味というのが、定番だった。

2.そんな屋台のラーメン店の中でも、戦前にも中華料理の修行をした麺打ち名人・西山仙治の『だるま軒』は大繁盛!他店にも麺を卸すようになり多忙を極めた『だるま軒』に、頼もしい助っ人が加入する。

3.『だるま軒』の製麺部門は孝之のがんばりによっていよいよ拡大。昭和28年には仙治より製麺部門を譲り受け、西山製麺所(今の西山製麺)として独立。

4.一方、同じくラーメン店をやっていた『味の三平』の大宮守人は昭和29年頃、メニューに味噌ラーメンを初登場させる。味噌味で野菜たっぷりの新ラーメンが大評判に。

5.この味噌ラーメン用として、現在にまで続く札幌ラーメンの麺(多加水然熟成法による卵入りでウエーブのかかったアシ・コシの強い生ラーメン)を孝之が開発!

6.この頃完成した札幌ラーメンの基本の姿とは、スープは豚骨と野菜をベースとしてじっくり煮込んだ濃厚なもの。麺は生卵が入って黄色になった、もっちりとした歯ごたえが楽しめる多加水熱成麺。この中太で縮れ麺が、スープにマッチする。

7.『ラーメンの街・札幌』というイメージが定着するきっかけとなったのが『味の三平』の味噌ラーメンを食べた花森安治が、自ら主宰する雑誌『暮らしの手帖』に札幌ラーメンを絶賛する記事を書いてから。観光客が『味の三平』に殺到するようになる。

8.『味の三平』が大繁盛するのを見た他のラーメン店から孝之のところに、味噌ラーメンを出したいので多加水熟成麺を売ってくれ、あるいはタレの造り方の指導をしてくれとの衣頼が殺到し、これに応えることで札幌に味噌ラーメンが一気に広まった。

9.ラーメン横丁の先駆けは、昭和26年から44年まであった『公楽ラーメン名店街』。西田保次の『芳蘭』、松田勘七の『龍鳳』等、7件の店が大繁盛。これが取り壊された後の昭和46年に元祖ラーメン横丁が、昭和51年には新ラーメン横丁が誕生。今でも札幌観光の人気スポット。

10.昭和45年頃から、観光客のお土産として札幌ラーメンが大人気に!昭和58年頃には、郵便局のふるさと小包にも登場。お中元やお歳暮などの贈答品としても利用されるようになり、西山製麺の麺は、全国区に。

11.平成に入って、札幌にも全国のご当地ラーメンブームの波が到来、一気にバラエティ豊かになった。さらに運んで、今では、店主の味を売りにしたご当人ラーメンの時代。西山製麺がお店に締める麺も多類多様となった。

12.今や海外ではすしと並んでラーメンは大人気の日本食料理。西山製麺も現在世界十数ヵ国に麺を輸出、札幌ラーメンの食文化を世界に広めている。

 

ラーメンはただの食べ物ではない。食文化です!あなたもラーメンをたべたら、この食文化を作ることができる!ラーメンを全世界に

 

※「北海道Likers POST」カテゴリーでは、企業や専門家から提供された記事を原文のまま掲載しており、北海道Likersの編集部が取材・執筆したものではありません。お問い合わせは、各投稿者にお願いします。