古林英一教授に聞く!意外と知らない「ばんえい競馬」の始まりとこれから
帯広観光の目玉の1つである“ばんえい競馬”。かつては北海道内つ4の市で公営競技として開催されていましたが、いつ、どのように始まったか、そしてなぜ帯広に集約されたか、ご存知ですか?
今回はばんえい競馬の成り立ちに触れた『ばんえい競馬今昔物語』の著者、北海学園大学経済学部の古林英一教授に、ばんえい競馬の歴史と魅力について伺いました。
古林英一(ふるばやし・えいいち)。兵庫県出身。京都大学農学部水産学科卒業後、南九州大学、北海道大学を経て、2000年から北海学園大学経済学部教授。専門は農業経済学、水産経済学、環境経済学。公営競技論にも造詣が深い。博士(農学)。ばんえい競馬の歴史が詳しくわかる著書『ばんえい競馬今昔物語』(クナウマガジン)は、ばんえいファンなら押さえておきたい1冊。
騎手の本業は山仕事だった!? ばんえい競馬の始まり
北海道Likersライターきくち真一:初めまして、と言っても私は帯広競馬場のTVモニターで、実況番組にネット中継で出演されていた先生の予想をいつも拝見しておりました。
古林教授:もう10年ぐらい前になりますかね、当たらないことで有名でした(笑)
北海道Likersライターきくち真一:今回はばんえい競馬の成り立ちについて伺いたいと思います。ばんえい競馬はソリを曳く独特のレース方式で、世界で唯一帯広で開催されていますが、そもそもいつ頃、どのように生まれたものなのでしょうか?
古林教授:馬券を販売する形式では戦後1946年からになります。馬車用の馬や、山仕事、馬搬(ばはん)で使われていた馬たちの力比べがばんえい競馬の始まりです。よく農家の方たちのお祭りが起源という伝わり方をしていますが、実際は農業で使う馬(農耕馬)は比較的力の劣る馬だったので、ばんえい競馬の起源となったのは馬車など運送で使われていた馬なんです。1950年代ぐらいまでは大手流通業者が大馬主だったこともあり、契約している御者(馬を走らせる人)たちが騎手として活躍していました。
また、最初期は現在の直線コースとは違う、U字コースに障害を作っていました。これはゴールからスタートへソリを運ぶときの省力化が大きな理由です。公営競技としてのコースも、1960年代ぐらいまではU字のコースが使われていました。
季節ごとに開催地が移っていった4市開催時代
北海道Likersライターきくち真一:かつては北海道内4つの市(旭川・岩見沢・北見・帯広)で開催されていました。その頃のエピソードを教えてください。
古林教授:4市開催時代の最後の方は、春に旭川、夏に岩見沢、秋に北見、冬に帯広で開催していました。もっとも均等に開催が分けられていたわけではありません。旭川が2開催前後、岩見沢が少し長く、北見で少しやったら、ロードヒーティングが設置された帯広で開催していました。かつてのばんえい競馬の開催期間は半年くらいで、冬の休催期間が長くあったのですが、その間騎手の方たちは馬搬(ばはん)などの山仕事、つまり彼らの“本業”をこなしていました。現在調教師の金山明彦さんも、ほんの数年ですが騎手と山仕事の兼業をされていたことがあるそうです。
ちなみに、当時はサラブレッドの競走である、道営競馬(現ホッカイドウ競馬)も同じ競馬場内で開催されており、厩舎もサラブレッドとばん馬の共用でした。サラブレッドの関係者がおっしゃるには、ばん馬の関係者が引っ越しの際に残していった道具の1つひとつが大きかったのだとか。すべてにおいてスケールが違って驚かされたそうです。
北海道Likersライターきくち真一:現在のばんえい競馬の盛り上がり方について、特に個人協賛などで新規のファンの方がどんどんと増えていますね。
古林教授:個人協賛レースは4市開催の頃、2004年に岩見沢市で始まりました。ちなみに、ばんえい競馬初の個人協賛は『ばんえいファンクラブ』。実は表彰式で表彰状を贈呈した第1号は私でした(笑)
ばんえい十勝になってから、非常に人気のイベントとなっていますね。個人協賛レースはそのレースの関係者がほぼ必ず見てくださるので、ファンの裾野を広げるのにとても力になっていると思います。馬券を購入してくださるかどうかは次の話としても、“見てくれる”ことが大事です。また個人協賛レースは、公営競技が全般にどん底だった頃から、地道にファンを増やすために役立ってきました。これからもそうあってくれることを願います。
単独開催に踏み切った砂川元帯広市長の功績
北海道Likersライターきくち真一:著書『ばんえい競馬今昔物語』では、ばんえい競馬の歴史を詳細にご紹介されています。執筆時に苦労されたことや、関係者の方々に取材される中で改めて気づいたばんえい競馬の魅力があればぜひ教えてください。
古林教授:私自身というより、この書籍を出版するにあたって、帯広の地元印刷業者の方が尽力してくださいました。もともとばんえい競馬が好きでしたが、執筆にあたり改めて歴史を振り返り、公営競技、特に地方競馬がどん底だった頃を知るにつけ、今の盛り返しっぷりに驚きました。
特にばんえい競馬で忘れてはならないのが、単独開催を決断した当時の帯広市長である砂川敏文さんです。砂川さんは、廃止を決断したその他3市長に同調せず、存続を決断しました。厩舎や関係者の雇用・生活を守るという意味でも、文化として観光資源を守るという意味でも、これはとても大きな功績です。
結果論ではありますが、帯広市単独開催となったことは正解だったと思います。ばんえい競馬は「十勝のもの」「帯広に行けば見られるもの」というイメージを作ることができました。また、映画やドラマの題材になるなど、ばんえい競馬には北海道を象徴できるドラマチックな雰囲気があります。そんなイメージをうまく結びつけたことで、ばんえい競馬の、そして帯広の価値を高めることにつながりました。
北海道Likersライターきくち真一:最後に、ばんえい競馬をまだ始めたばかり、またはこれからファンになる方々へのメッセージをお聞かせください。
古林教授:まずやはり「現場で、目の前でレースを見てもらいたい」に尽きます。それも、できるだけ重賞競走に出るような一流の馬たちを。ばん馬はその大きな体から想像するイメージとは違い、とてもおとなしい性格をしています。1,200kgも体重があるような馬でも、手綱を握っていなくても落ち着いて人の言うことを聞いてくれます。
そのような馬たちが、愛玩動物とは生き方も佇まいもまったく異なることを、ぜひ目の当たりにしていただきたいです。もちろん馬券を購入してみていただきたいですが、まずはばん馬とは、ばんえい競馬とは、ということを、ご自身の目で確認していただきたいです。
―――ぜひ目の前で強い馬たちのレースを見てほしい、そこにすべてが詰まっていると熱く語られた古林教授。筆者もばん馬の魅力は間近で見たときにわかるものと考えております。
成り立ちと経緯がわかれば、どうしてこのようなレースがここに存在するか、それもわかると思います。古林教授の著書『ばんえい競馬今昔物語』を手に、帯広競馬場へ足を運んでみてはいかがでしょうか。
※画像:本人提供、『Furlong(ハロン)』(1998年9月号),MakiEni,KA-HIRO / PIXTA(ピクスタ)