誰もが知る俳優似のものも…!? 炭鉱の歴史を案内する「地下展示室の人形たち」

財政破綻により数々の施設が閉鎖される中で、「夕張市石炭博物館」は今もなお存続する貴重な観光資源です。

2019(平成31)年に発生した『模擬坑道』付近の火災により、「石炭博物館は閉鎖された」との噂が流れたりしましたが、今も元気に開館しています。施設の指定管理者である「NPO法人 炭鉱(ヤマ)の記憶推進事業団」の石川成昭館長に案内してもらいました。

炭鉱の繁栄と観光化の失敗

夕張は、かつて石狩炭田の中心都市として栄えていました。明治から昭和の中期にかけて市内随所に炭鉱が開かれ、1960年代には人口11万人を超える都市に発展しました。「日本の炭都」として豊かに成長しましたが、エネルギーの転換により1990(平成2)年までに全ての炭鉱が閉山しました。

炭鉱を失った夕張は、新たに“観光都市”を目指します。1980(昭和55)年に第三セクターによる「株式会社石炭の歴史村観光」を設立。「石炭の歴史村」は1980年代後半から年間200万人の入込で賑わいましたが、のちにヤミ起債が発覚。市は深刻な財政難となり、2007(平成19)年3月6日をもって財政再建団体に指定される事態になりました。

膨大な赤字が隠されていた「石炭の歴史村」は廃止され、中核施設である「夕張市石炭博物館」も閉鎖が囁かれました。しかし、“夕張を支えた石炭産業に触れることのできる施設は歴史・資料的価値が高い”として、内外から存続要望の声が挙がりました。

NPO法人に引き継がれてからも受難は続く

2007(平成19)年に「加森観光株式会社」が指定管理者となり、その関連会社である「夕張リゾート株式会社」の運営によって、同年4月27日に施設の営業を再開。2018(平成30)年4月28日に2年に渡る改修工事を終え、「NPO法人 炭鉱の記憶推進事業団」が指定管理者になり、リニューアルオープンしました。

しかし、「夕張市石炭博物館」の受難は続きます。「NPO法人 炭鉱の記憶推進事業団」が指定管理者となった翌年の2019(平成31)年4月18日23時45分ごろ、『模擬坑道』で火災が発生します。『模擬坑道』は、明治時代に使われていた本物の坑道を再利用したもので、同博物館の魅力を伝える重要な施設です。

「前年度の入館者数が堅調に増えたのに、主要な見どころが焼失してしまった」と、石川館長は肩を落としました。

自虐ネタで復活の狼煙を上げる「夕張市石炭博物館」

火災もあり、博物館の廃館説まで流布され、客足にも影響しました。それを危惧した前館長が「圧倒的な廃墟感に負けずにドンドン進もう!」など自虐的な案内表示などを打ち出したことで、注目されるようになりました。

駐車場から博物館までちょっとした坂を登っていきます。かつて大盛況だった遊園地はすでに森と化しています。

石炭の歴史をたどる旅に出よう

券売機で入館料720円(一般・中学生以上)を支払うと、スタッフが路順や地下展示室にトイレがないことを伝えてくれます。

リニューアルによって大規模な改装が行われ、博物館本館1階に特別展示室、2階に常設展示室が設けられています。

2階の導入展示部分には、破綻から今日までの夕張の歴史がまとめられています。現代から過去にさかのぼることで、栄枯盛衰を感じることができるというわけです。

メイン室には、石炭発見から炭鉱創業など繁栄に至るプロセスが紹介されています。文字が多いので、急いでいる人や、あまり関心がない人はスルーしてしまいそう。博物館側もそれを危惧しており、必要なキーワードを大きく黄色い文字で目立たせています。

展示室(角のエリア)に歩みを進めると、壁に夕張の石炭の採炭量と人口の比率がグラフで示されています。1960年代のピーク時の写真を見ると、「ここは本当に夕張なのか」と思うほどにぎやか。今ではシャッター街を通り越して崩壊した建物が目立ち、街全体の衰退がうかがえます。

床に目を落とすと、1960年代の航空写真が広がっています。よく見ると山の中に炭鉱の施設があるなど、夕張は石炭なしで成立しない街だったことが伝わります。

展示室の片隅には、夕張の鉄道や当時の暮らしの展示品がさりげなく置かれています。先ほどの文字攻めがウソのように説明文もありません。それについて石川館長に訊ねると、2019(平成31年)年に廃線となったJR石狩線夕張支線なども含めて、展示や解説を充実させたく、今後夕張市とも協議を進めたいのだそう。夕張市役所さん、お忙しい中恐縮ですが、協力を願います。

真夏でもヒンヤリする地下展示室

地下展示室へは、立坑ケージ風のエレベーターを使って降ります。扉が開き、迎えてくれたのは、戦時中に造られた『採炭救国坑夫の像』のレプリカ。顔のモデルは、「ニッカウヰスキー株式会社」創業者である竹鶴政孝氏の兄、当時の「北炭夕張鉱業所」所長の竹鶴可文氏です。兄弟そろってビッグな人物だったんですね。

地下展示室には、坑内で実際に使用していた機械・器具が展示され、炭鉱の技術の推移や作業の様子を見ることができます。ボタンを押すと当時の様子が音声で流れ、リアルな採炭現場の雰囲気が伝わります。

この人形は、俳優の高倉健さんをイメージしているといわれています。映画『幸せの黄色いハンカチ』で演じた島勇作は元炭鉱夫の設定であり、夕張が全国に注目されました。

地下展示室の最後は、採炭機械ドラムカッターを見学します。30〜60分ごとに、スタッフが解説と運転を行います。本来ならば、さらに『模擬坑道』が続いていましたが、2019(平成31年)年に火災が発生し、この先は見学不能となってしまいました。これまでの展示は前哨戦、『模擬坑道』こそがメインだっただけに、それを失った衝撃は計りしれません。

クラウドファンディングで完全復活を目指す

夕張市は『模擬坑道』の防災設備リニューアルを目標としたクラウドファンディングを実施。目標額500万円を上回る支援を受けました。すでに復活に向けた工事が進んでいます。時間はかかりそうですが、完全オープンを目指しています。「夕張市石炭博物館」の実力は、こんなものではありません。静かに完全復活の日を待とうではありませんか。

 

夕張は、“観光で失敗した街”といった負のイメージがありますが、日本のエネルギーを支えた街であったことも忘れてはなりません。今後も「夕張市石炭博物館」は歴史を後世に伝える重要拠点であり続けるでしょう。

<施設情報>
■夕張市石炭博物館
■住所:北海道夕張市高松7番地
■電話番号:0123-52-5500
⇒開館期間など詳細はこちら

⇒こんな記事も読まれています
【PR】北海道の夏全部入り!涼しい高原リゾートで家族全員のワガママを叶える「最強の3泊4日プラン」

【連載】意外とハマるかも…?北海道マンホール特集
一生に一度は見てみたい!神秘的な北海道の絶景

LINE友だち追加