絶景に佇む歴史!過去に想いを馳せて見に行きたい「レトロな遺産スポット」2つ【日本遺産「炭鉄港」・芦別編】
日本遺産『炭鉄港』は、近代の北海道を築く基となった三都(空知・室蘭・小樽)を、石炭・鉄鋼・港湾・鉄道というテーマで結んだ産業革命の物語です。これまで室蘭市、赤平市、美唄市、栗山町、月形町を紹介してきました。今回は、空知エリアの芦別市をピックアップします。
芦別市は北緯43度、東経142度と北海道のほぼ中央にあり、広大な面積を誇っています。1897(明治30)年より石炭が掘りはじめられ、1913(大正2)年に三菱鉱業が本格的に開鉱したのを契機に徐々に拡大。人口は最高で75,000人余りにもなったそう。
芦別市には『旧三井芦別鉄道 炭山川橋梁』と『旧頼城小学校(星槎大学)校舎及び体育館』 2つの構成文化財があります。早速ご紹介しましょう!
【もっと知りたい】炭鉄港に関するほかの記事はこちら1:旧三井芦別鉄道 炭山川橋梁
『旧三井芦別鉄道 炭山川橋梁(たんざんがわきょうりょう)』は1945(昭和20)年12月に竣工された三井芦別鉄道の橋梁です。橋の長さは94メートル、高さは30メートルで、橋脚は5つあるそう。
三井芦別鉄道は三井鉱山株式会社の専用鉄道として1940(昭和15)年に開業、1942(昭和17)年には地元の要望に応え、小型客車による旅客輸送も行うことになります。その後、1972(昭和47)年に旅客営業を廃止、1989(平成元)年に全線が廃止に。現在でも駅舎などが残されています。
鉄橋の上にはディーゼル機関車の『DD501』と石炭専用貨車の『セキ3820』が展示されています。冬季は通行止めになっている「道道芦別砂川線西芦別ゲート」が現在(2022年4月29日〜10月31日まで)開放されているので、『DD501』を正面から見ることができる展望広場へ行くことが可能とのことです。
季節ごとに木々や山の様子が変わるので、何度訪れても素敵な景色を見ることができますよ!
2:旧頼城小学校(星槎大学)校舎及び体育館
『旧頼城(らいじょう)小学校』は、1954(昭和29)年に建設されました。校舎及び体育館が構成文化財となっており、2002(平成14)年に閉校したあと、2004(平成16)年からは『星槎(せいさ)大学』の校舎として使われています。敷地内に立ち入ることができませんが、道路から校舎と体育館の外観を見ることは可能です。
こちらが体育館の内部。木造平屋建で、はりめぐらされた木材は、光を遮らないよう窓と窓の間に見事に組まれています。建築面積は757平方メートル。
校舎はレンガ造で一部鉄筋コンクリート造。外壁だけでなく、校舎の内壁にもレンガが使われています。最も多いときで1958(昭和33)年に41学級2,214名の生徒が通っていたそうで、炭鉱で栄えた当時のにぎわいぶりを物語っています。
芦別市が独自に制作「芦別炭鉱遺産マップ」
今回ご紹介した『旧三井芦別鉄道 炭山川橋梁』と『旧頼城小学校(星槎大学)校舎及び体育館』をはじめとする芦別市内にある炭鉱遺産を、「道の駅スタープラザ芦別」内にある「星の降る里百年記念館(芦別市教育委員会)」がGoogleマイマップにまとめ、公開しています。
ポイントをクリックすると、どんな場所なのか説明を見ることができます(私有地など無断で立ち入ることができない場所やヒグマの出没箇所など危険な場所も含まれていますので、見学の際はご注意ください)。
このようにたくさんの炭鉱遺産が現存していることを筆者も芦別市を訪れるまで知りませんでした。当時の様子を思い浮かべながら、ぜひ遺産を巡ってみてください!
【もっと知りたい】炭鉄港に関するほかの記事はこちら【画像】芦別市企画政策課まちづくり推進係
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