札幌ラーメン西山製麺代表・西山隆司。「本物の味で世界の食文化へ」夢追い人はゆく
ついこの間食べたばかりなのに、もう体があの味を欲している。
あなたにもそんな食べもの、ありますよね? 人それぞれいろいろあるかと思いますが、その代表格ともいえるのがラーメンではないでしょうか。
今回は、札幌市民に愛され今や世界的に支持されている札幌ラーメンを支える、西山製麺の代表取締役社長 西山隆司さんにお話を伺いました。札幌の地を愛し、札幌ラーメンを心から愛する西山さんが描く、札幌ラーメンのこれまでの軌跡とこれからの未来予想図です。
西山隆司(にしやま・たかし)。昭和33年(1958)年、札幌市生まれ。中央大学を卒業後、外食産業大手すかいらーくに入社。昭和58年(1983)年に退社し、西山製麺に入社。平成13(2001)年より代表取締役社長を務める。
意外と知らないラーメンの歴史
北海道LikersライターFujie:札幌ラーメンに限らず、今やラーメンは押しも押されもせぬ国民食ですが、その歴史はどのようなものなのでしょうか?
西山さん:ラーメンは、実はまだ日本に入ってきて300年くらいしか経っていないんです。うどんやそばと比べるとかなり歴史が浅い食べものと言えます。鎖国をしていた江戸時代に、中国のラーメンが長崎の出島に伝来したことに始まりました。なので、長崎ちゃんぽんが日本のラーメンのルーツなんですよ。
北海道LikersライターFujie:そうなんですか! 全く知りませんでした。たしかに今でも、ちゃんぽんとラーメンの麺は似ていますよね。
西山さん:そうなんです。それを食べた人が「あれ?うどんと似ているけれどもちょっと違うな」となったんです。麺に少し弾力があって、食感は麺が締まったような感じ。モチモチしたうどんとは、どうも違う。それもそのはずで、違いは水にあるんです。美味しい日本の軟水で小麦粉を練るとうどんになります。一方で中国はどちらかというと硬水なんです。それで小麦粉を練ると麺が締まるんですよ。
北海道LikersライターFujie:なるほど。同じ小麦が原料でも水の違いでだいぶ変わるのですね。長崎からラーメンはどのように広がって行ったのでしょうか?
西山さん:まず、長崎から九州全体に広がって行きました。今の九州におけるとんこつラーメンのルーツです。元々中国から伝わってきたのがとんこつ系で塩がベースの味。それが発展して今の博多ラーメンなどに通じているのだと思います。
ところで、今日本でラーメンと言うと味噌・塩・醤油、そしてとんこつとあるでしょう? だからそれぞれ歴史があるんですけど、醤油の場合は、開国以来賑わいを見せていた横浜や神戸といった港町がルーツなんです。貿易が盛んになるにつれ、中国の料理人さんがお店を開く。そこに日本の料理人さんが手伝いに入る。そこで、日本の料理人さんが醤油を調味料としてラーメンの中に溶け込ませたんですよ。これが醤油ラーメンの始まりとされています。中国から来た食文化が日本の醤油の食文化と合わさって、ラーメンという形で改めて日本で進化したという、そういう流れなんです。
北海道LikersライターFujie:食文化の融合で今の醤油ラーメンができたわけですね。札幌ラーメンはその後にできてくるのでしょうか?
西山さん:はい。浅いラーメンの歴史の中でも札幌ラーメンの歴史はさらに浅いですね。というのも、戦前にも一応札幌ラーメンがあったのにはあったのですが、戦後になって戦前にお店をやられていた方々が復活させることはなかったんです。これは、旭川や函館では戦前の店が戦後に復活していることと比較するとわかりやすいです。
札幌ラーメンは、昭和21(1946)年頃が最初です。東京・浅草で調理人をやっていた西山仙治という私のおじが、札幌に戦後初めてのラーメン屋台を作って、店を開いたんです。その当時、おじは調理も製麺も自ら手掛けていました。まだ終戦間もない頃ですから、闇市から小麦粉やかんすいなど、麺を作る原料やラーメンのスープになる原料を買ってきて、ラーメンを調理して出したというのが戦後初めての札幌ラーメンになります。当時の味は、東京風の醤油ベースのものでした。
その後、戦地からの引揚者がやってくるようになりました。当時は大した食も何もないですから、おじのラーメンを食べたらその美味しさに、自分もラーメンの屋台をやってみたいなとなる人が出てきたんです。そうした人々がおじにラーメンの調理方法を教わり、店を構えるようになりました。ただ、製麺は難しいので引き続きおじが手掛けていたそうです。そのうちに引揚者も増え、いよいよ忙しくなってきたとき、私の父である西山孝之(初代西山製麺社長)が製麺の手伝いに入りました。これが昭和23(1948)年くらいの話です。
柔軟な変化をしてきた札幌ラーメン
北海道LikersライターFujie:ここまでのお話しだけでも、他の地域のラーメンとは違った発展を遂げてきた感じがします。
西山さん:そうなんです。普通食の世界で多くみられるのは、作り手が一人だと自分のお店の秘伝の味などと言って、そのレシピを表に出さないことなんですよ。師匠と弟子という関係性も強くて、のれん分けの時にレシピを弟子に教えるくらいなもんなんです。ですが、札幌ラーメンはその担い手である引揚者たちが師匠(西山仙治)の味、つまり当初の醤油ベースのラーメンを変えていきました。
たとえば、寒い冬の気候にも合うようなスープを追い求めて、じっくり炊き出して骨からゆっくりと旨味がしみだしてくるような澄んだスープが生まれました。これが札幌ラーメンのスープの原型です。
それから、札幌ラーメンの特徴であるフライパンで野菜をいためて盛り付けをするという方法。これは中華料理の調理がもたらす効果を期待して取り入れられたんですよ。まず目の前でフライパンが火をまとって「おおぉ!」となる。音がジュージューといって、匂いがバアァーっと来る。目で感じて耳で感じて鼻で感じる。言うなれば調理のショーなわけです。加えて、ただ地元にいい具材があったから、いい野菜がたくさんあったからそれを使ったということです。
そして忘れてはならないのが味噌ですよ。これは、「味の三平」の大宮守人さんという方が味噌の可能性に気づいて、味噌をスープに溶け込ませたのが始まりという説があります。一方で、北海道には味噌料理が多いですし、味噌というのは身体も温まるので、味噌の味付けのラーメンはできないのかとお客さんから要望があったとも言われています。いずれにしても大宮さんが自分で考えて独自にアレンジしてスタートしたのが味噌ラーメンの味噌の原型です。
お客さんの声を聴いていったというのも札幌ラーメンの大きな特徴です。結局、それまで一般的だった師弟関係というのが成り立たなかったので、良し悪しの判断はお客さんの声に委ねようということになったのでしょう。
北海道LikersライターFujie:ラーメンの各要素がそれぞれ独自の進化をしてきたのですね。札幌ラーメンは環境が生んだ一杯と言えそうですね。
西山さん:まさしく、札幌という環境が、札幌の市民が育てたラーメンと言えるでしょうね。今の私たちも何種類もの麺を作っていますが、当時西山孝之は昭和28(1953)年に製麺部門だけ独立させる形で創業した西山製麺所で、新しい味噌のスープに合う麺を開発していました。それが今の札幌ラーメンの特徴である、卵入りの黄色い麺、太くて縮れた麺なんですよ。
先ほども触れましたが、札幌市民の声を反映して発展してきた歴史があるので、札幌市民は子どもたちも含めて、札幌ラーメンへの想いが強い。札幌市民が創りあげた札幌の食文化と言えるでしょうね。だから歴史が浅くとも、これだけ世界的に広まったんだろうと私は考えております。
札幌からSUSHIを超えるRAMENへ
北海道LikersライターFujie:海外進出もされておられますね。
西山さん:はい、現在32か国と取引があります。ですが基本的に全て営業は行っておりません。私たちは、美味しいラーメンを作りたいという人に、徹底的に技術やノウハウをお教えします。声があれば、日本国内・海外どこでも現地に飛んでいき、あるいは札幌に来てもらって直接教える。オープンしたお店を一週間くらい手伝いをすることもありますよ。その店が繁盛したら、うちの麺もたくさん売れることになりますからね。
海外ではとくにお店が繁盛すると周りの人が「うちもラーメン屋やりたい!」となるんですね。そうすると、「いったいどこで勉強してきたんだ」と必ずうわさが広まるんです。そして「どうやら札幌の西山さんに行って何か教わってきたみたいだよ」と。そうしてまたうちにラーメン店をやりたいという人が来ます。この調子で現在32か国まで札幌ラーメンが広まっています。
北海道LikersライターFujie:すごい……そこまで手厚く支援しているのですね。
西山さん:はい、おかげで“繁盛しているお店とそのお客さん”がうちの一番大事な“営業マン”になってくれています。
海外では寿司が人気ですが、寿司と比べてもラーメンというのは、アレンジに向いているし、現地の食文化が入りこみやすいんですよ。もうすでにイタリアではカルボナーラのラーメンもあります。私も食べてきましたが、ちゃんとスープなんです。めちゃくちゃうまいですよ(笑)
さらに言うと、世界に広まるうえで大事な要素であるベジタリアン、ハラール、ヴィーガンといった多様なニーズに対応しきれるのは日本料理でもラーメンだけだと思います。
北海道LikersライターFujie:世界へ進出していくポテンシャルがラーメンにはあるんですね。それでもどこか好循環に身を任せた部分があるように感じます。積極的にビジネスを海外で展開したいというわけではないのでしょうか。
西山さん:やっぱり札幌で作らないと札幌ラーメンでないと思っていますから、札幌にはこだわっていきたいなと思っています。
海外から大きな商談が持ちかけられたこともありますが、それらはお断りし、合弁などもしていません。札幌ラーメンの質が落ちて、お金儲けが優先ということにでもなったら、それは札幌市民に対しての背信行為になりますからね。
それに、ラーメンは寿司以上に市場規模が大きくなると思っています。大きいから、大きい市場を全部まとまって取りに行こうなんて考えなくてもいいんですよ。
うちの会社は札幌で生まれて札幌市民に育てていただいた会社ですから、札幌から出たくないとも思います。一杯まるごと札幌や北海道尽くしなんてのもいいですよね。
―――取材中、終始感じたのは札幌、そして札幌ラーメンへの熱い想い。その語り口と輝く瞳は夢追い人そのもの。西山さんの情熱が続く限り、札幌ラーメンは更なる飛躍を遂げることでしょう。
西山製麺株式会社は『北海道好きが自由に投稿!北海道Likers POST』で連載中! 札幌ラーメンの歴史や西山製麺のこだわりをチェックしてくださいね。
⇒西山製麺株式会社の連載はこちらから⇒こんな記事も読まれています
元モーグル五輪選手の山崎石材工業代表・山崎修。過去から現在、未来へとつなぐ「人生の物語」
札幌新陽高校校長・赤司展子。「複業する校長」が自らの姿勢で魅せる教育の理想とは