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有名な場所だけど意外と知らない!? 函館の観光名所「五稜郭」が星形である理由

2022.12.11

函館市の観光名所として、北海道民にはもちろん、全国的にも有名な“五稜郭”。上から見ると星の形をしていることでもよく知られています。ところで、なぜ星形なのか知っていますか? 道産子でも知らない人がけっこういるのでは? 今回は、五稜郭が星の形である理由を解説します。

「五稜郭」の歴史

五稜郭がつくられたのは、元治元年、西暦でいうと1864年、江戸時代の幕末の頃です。

その約10年前、鎖国をしていた日本はアメリカから開国を迫られて、日米和親条約を結びました。国交のために、現在の静岡県である伊豆の下田と、そして現在の北海道である蝦夷地の箱館(のちの函館)を開港することに。

箱館では、外交や箱館での政治をおこなうため、開港前から“箱館奉行”を配置しましたが、場所があまりよくありませんでした。箱館奉行は箱館山(現在の函館山)のふもとにあったのですが、山に登ると箱館の街もすべて見えてしまい、来港した外国人から内情がわかってしまう可能性があったのです。さらに海に近かったため、外国の艦船から標的にされる恐れもありました。

そこで移転し、新たにつくられた奉行所こそが、五稜郭なのです。

星形のルーツは近世ヨーロッパ

新しい奉行所は、外国人の偵察から見えず、かつ攻撃から守れるものである必要がありました。そこで、港近くの箱館山のふもとから、内陸部へ場所を移動。近世ヨーロッパの“稜堡式城郭都市(城塞都市)”を参考に建築が進められることになりました。“城郭”というのは、城や都市を守るための城壁のこと。新しい奉行所も、四方を土塁と水堀で囲んでいます。

さらに攻撃への備えとして、近世ヨーロッパの城郭で特徴的な構造である“稜堡(りょうほ)”を設置。稜堡は、上から見ると突き出ている角の部分で、砲台として使います。死角をなくすために、稜堡は全体を囲むように5つ設置。結果的に角が5つ出ている、星形になっているのです。

五稜郭が星形の理由は?

五稜郭が星の形をしている理由は、「攻撃を守るために設置された、砲台となる突角型の“稜堡”が、死角を作らないよう5つ設置されているから」が答えになるでしょう。

ちなみに五稜郭という名前は、“五”つの“稜”堡がある“城郭”という名前。とはいえ、五稜郭にあるのは城ではなく、あくまで奉行所です。“箱館御役所”という名前の、政治をおこなう場所でした。今でいうところの役所にあたります。

現在は市民や観光客が集う公園に

開港後、日本では旧幕府軍と明治新政府軍の戦いがはじまり、五稜郭は旧幕府軍に占領されます。箱館戦争です。結果は旧幕府軍が明治新政府軍に敗北。五稜郭は新政府に明け渡されましたが、再び役所になることはありませんでした。

その後、大正に入り、市民からの要望で公園として一般開放されるようになりました。2006年頃から復元整備工事が行われて、2010年に完了。星形の五稜郭はきれいに残っており、五稜郭タワーに登れば、上から星の形を一望できます。

現在は公園として、春には桜や藤棚が咲き誇り、夜は花火大会や七夕祭りが開催され、冬はイルミネーションが点灯。函館市民が集い、観光客や歴史が好きな人たちも足を運び、道内外から愛される場所となりました。

 

五稜郭が星形なのは、つくられた当時の歴史に理由がありました。函館市民とともに歩んできた歴史も感じながら、五稜郭を眺めてみてはいかがでしょうか。

【参考】国立公文書館 公文書の世界、五稜郭タワー、四天王寺大学紀要、函館市
函館五稜郭の図 / 国立公文書館 公文書の世界
五稜郭の歴史 / 五稜郭タワー
季節のイベント / 五稜郭タワー
植民都市と市壁に関する一考察 ~リマを事例に~ / 四天王寺大学紀要 第 59 号(2015年 3 月) 梅原隆治
五稜郭の歴史(箱館戦争から現在) / 函館市

【画像】y.uemura、Hiroko、Leonid Andronov、NAKA JUN.、aki、Shawn.ccf、Sean Pavone / PIXTA(ピクスタ)

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